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 2018年05月 

修行が足りないんだ! 


空海・青龍寺

 「働き方改革」、とかいう仕事の仕方を変えるべき」だ、という労働時間の制限の法律を改訂すべきという与党の目玉法案の審議がなされていたが(審議途中で提出資料の改竄などが露呈して紆余曲折したが)、これは働き過ぎを助長する法律で労働法の改悪だという主に労働側者サイドからの強い反対があったものの結局多数を制しての力で衆議院の委員会で通過した、というニュースを報じていた。委員長席に野党議員が詰め寄り、わあわあと反対する議員が手を挙げて決議の邪魔をしていたが、どう見たって無理でTV向きのパフォーマンスに見える(多勢に無力な残念な風景だが)。  
 年収が1千万ちょっとを超えたら自由裁量の労働時間であるべき、というその対象となる金融、コンサル、IT関連、先端技術の研究職など要はずっと遥かに恵まれた高給をずっと前から得ている、労働時間の拘束もないような職種の人たちが中心であるが、一般の企業の役職についていない、多くの社員労働者でそれだけの高給といわれる給与を得ている人はそうはいないだろう、と思う。
 しかし労働法での労働時間の縛りを外された人たちの最低賃金(1,000万円超・・・基本給+残業手当+その他手当を含めてなのか)をその金額にしてしまえば時間外手当も超過勤務(従来の規定の)も支払われないということになり、総支給額が高給だからと長い労働時間や休日の取り方が自主管理になり、企業の言う成果が上がらなければ法的に保護されないようになって精神的、肉体的に異常をきたしても個人の自主管理、という事になってしまうのだろうか、という不安もある。
 過日、「40歳の僧侶がうつ病」になったのは連続勤務が原因で労基署がその僧侶、坊さんの労災認定をした、というニュースを見た。慰謝料と未払い賃金(残業代相当だろうか)を860万円を支払ってくれ、という訴え、らしい。その僧侶は空海、弘法大師が当時の嵯峨天皇から下賜された山一帯の中に金剛峯寺を真言宗の本山として開山したという由緒も歴史もある著名な「K野山」所属の宿坊で修業、いや働いていて、その仕事は宿坊、いや“寺ホテル”、今風に言えば民泊ならぬ「寺泊」のフロント業務を担当していたのだがインバウンドなどのせいか、はたまた寺巡りの御朱印コレクター客なのか知らないが宿泊者(勤行・修行体験ツアー客?も含む)が急激に増え多忙になって追い付かない人手だったらしいのだ。
 なにせこの「K野山」関連の寺は117院あってその半分近くは寺泊事業をしているらしいのだから一大事業宗教法人なのだ。不謹慎だが坊さんに超過勤務というのがあるのか、それは修行の一つではないのか、高僧、例えば僧正や僧都といった上層部への食事、寝床の用意、堂内の清掃、庭の手入れ、鐘撞など様々な仏事の作業は下級僧である律師などの日課,お勤めではないのだろうか、その延長で宿坊での業務もお勤めなのだろう、寺の習慣組や組織は分からないが、修行の一部だ、と言っても今の時代は、そしてこの収益事業の業務は“お勤め”では通らないという事なのだろう。しかしこの訴えはどうも給料を得て労働をしている寺法人に就職した、いずれは僧侶になるいわゆる家(寺)事、最初は雑用見習い、研修という名目の教育訓練なのだろうか。
 一帯が今、仏教体験ブーム的観光地化していてトップシーズンには多忙を極め一日も休日が取れなかったという人手不足の状態だったのか。僧侶の見習い修行者ではなくて寺業務を一括して受注している会社からの派遣従業員だったのか、例えば“K野山サービス(株)”(仮称です)とかいう寺の関連会社か?
 出社(出寺)するとPCのシフト表に勤務時間、休憩、業務終了時間を打ちこむ。超過労働時間になると中間管理職である上司(僧侶)が調整せよ、とPCのデータの改竄を命ずる。今日は葬式が入っている、夜は通夜も入っている、勤行がある、あの企業の親友社員研修の座禅会がある、あそこの寺に手伝いに行ってこい、暇があったら(の話だが)読経でもしているがよい、すべてが仏の道につながる修行である、とか言われて雑事もこなす。どのような仕事、修行の行があるかは仏門にいるわけではないからわからない。
 鬱になった?修行が足りないからそうなのだ、鬱の僧侶なんて聞いたことがない、と宗派内での出世もままならない、寺のトップの方針に逆らわれない。それは○○大師の教えである、と一言である。そして“修行”で鍛えられてようやく系列の檀家の少ない末寺の僧侶にでもなってランクを上げていくと、法事などの法話で修業時代の苦しいあれこれを話し人の道を説けるようになり立派な緋色や紫色の法衣・装束で身を飾れるようになり、花街にも出入りができるようになる。
 「なに、労災申請だと?」働いている?、労働だと思っている?、思い違いも甚だしい、修行である、対価を求めるような筋の業ではないこれは行である、喝!と老師に睨まれそうだが、最近のそのような環境変化は宗教の領域まで及ぶのだ。寺での作業時間が長くて精神的に追い込まれてしまった、というのだから俗っぽい言い方すると宗教は精神的な迷いを解放しない。
 労基署などが妙法などを唱え続ける僧侶(近代的な僧侶は別として)に法律適用で超過労働をする僧を救済するのだ。修行が労働であるとする雇用者(下級僧)、労働という事が仏門での修行である(寺)、と思っている時代とは大きく変わってきている。昔ながらの開祖の教えを説く宗派の寺、多くの僧侶を抱える仏門事業を得意とする名門寺ではどうやらお布施も戒名代も墓地の管理料もそして葬式代、座禅会だの瞑想会だのの体験型新規事業収入(損益計算書の収入の部)の内容が変わってきそうだ。税金の部は関係ないようだが。
 働き方改革法案、は“修行改革法案”である。寺にかかわらず個人商店や、個人固有の伝統技能を生かした製作、芸能などの伝承世界はちょっと前の昔は丁稚奉公という風な下働きで技能を得て、そして暖簾分けなどで独り立ちできるまではで長期の修行、見習いとして給与、賃金なんてちょっとした小遣い程度で不満があれば雇用契約って何なんだとばかりに不満があるなら追放だ、出ていけ、であった。今の時代はそうはいかない、昔の習わしは通用はしない、親方、師匠、などが労基署に呼ばれてしまう時代なのだ。労基署に管理監督者として呼び出されたあの高名な寺の管理職僧侶は称名をまづは唱えてからなのか、お数珠をじゃりじゃりさせながら労基署に説法するのか。そろそろ寺にもコンプライアンスの考え方が導入されねばならない時代なのか。南無南無。

*今年訪ねた西安の「青龍寺」(空海がこの寺で学んだ)の記念石版 
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