FC2ブログ

月別アーカイブ

 2017年03月 

卒後58年目の再修学旅行。 

タイ国皇太子お手植え

 我々の小学校卒業は今から58年前の昭和34年、である。その古希を迎えた同輩がわざわざ“いなか”からバスを仕立てて当時の勉強の旅へ、修学旅行をも一度してみよう、という企画である。いなか、と言っても鄙びた寒村、ではなくてこの地方では生まれた土地を“いなか”と普通いう。でも確かに当時からすればその地の人口も減って子供も少ない寂しい故郷ではある。戦後の21年に生まれた世代であるがその入学した小学校は開校以来の生徒数98名を数え、いまだにその一学年の生徒数は記録でありそれ以来減少の一途で過疎化が進んでいる。
 その地に残っている同級生が企画した遠足に“行かにゃならんじゃん”“そうさ、行くさ、おまんもいくずら”とかいう方言で会話をしながら東京近辺にすむ仲間と誘い合い、鎌倉駅で御一行様のバスに拾ってもらって鎌倉の鶴岡八幡、長谷の大仏、江の島という三か所を5時間で巡回するというショート観光である。移動中のバスの中ではビールまたは缶お茶、ではなくて葡萄酒である。幹事役の一人が“こりゃあ、おれの甲州ワインだ2003年の醸造のもんだ”、とバスに乗るなり紙コップにラベルなしの瓶から琥珀色の白ワインを注いでくれる。こっちはあまり飲めない下戸ではあるが友人の栽培した甲州葡萄で絞ったワイン(地元ではかって葡萄酒と云っていて酒類といえば一升瓶の葡萄酒が普通だった)は飲み口が丸いよく寝かした味で、“いいじゃんか”“ほうずら、そうさよ、おれのとっておきのワインだぞ”と自慢するが、今日わざわざ持ち込んできて飲ませてくれることはとてもうれしい、飲まずにいられよか、である。
 きれいになった八幡宮までの段葛をまっすぐ進み、左手の白い建物を見てこれは昨年に閉館してしまった美術館だな、ここがあの台風で倒れてしまった銀杏のあった場所か、と言いながら(古い写真を見ながら)石段を上る。上り切ってその正面の拝殿に礼拝をし、振り返ると向こうに若宮大路を見、その向こうに材木座の海岸が見える場所で見知らぬ人にシャッターをお願いして70の爺さん、婆さんの記念集合写真を撮る。58年前の記念写真をこちらはアルバムから剥がしてフォト・ショップで拡大複写した当時の写真を持参した、その写真は「静御前」が踊ったという静の舞踊りの舞殿と以前の銀杏が写っている階段下の写真であったが、そこに写っている小学生の中で今日来ている者は19人である。参加率は2割に満たない。懐かしい古写真をみんなが覗き込むと“こっちはだれでえ”"あいつはとっくに死んじまっただ、あいつは返信もくれんさ、これはおまんけ、面影があるじゃん、頭の毛はねえけんど、このかわいいのは誰で、わたしさ、ちっともにてねえじゃんか、婆になっちまって、ね!苦労してるね、わけえときはもてたんだ、そんなだっちもねえはなしはねえさ・・・”という会話になる。“同級で亡くなったもんは20人近くいるさ、おれんとうもいつまで生きるか、この企画はまたやりてえなあ”・・とか言いつつ、“次回はいくにんくるかなあ、戒名になっちまっているもんも出てくるぞ・・。”とか言いながらそれぞれの呼び方が当時のニックネームやあだ名、名前の呼び捨てなどに自然と変わっていく。こんなのがいいよな。一気に58年が巻き戻る。
 八幡宮を後にして“おんなし”が行きたいという小町通りを戻り、長谷の大仏に向かう。200円の入場料で大仏の座像の前庭に入る。全身緑青を纏って継ぎはぎだらけの坐像は今は社殿にも入らづこのままここに座してもう何百年である。台風にやられて海風にあおられてジッとずっと座りつづけている坐像の周りを一回りする。資料によれば鎌倉時代・13世紀の鋳造で座高は11.4メートル、体重は121トン 、材料は銅・錫・鉛の合金で当時の浄光という僧が集めた宋銭での浄財で鋳造されたという。正面から見ると肉厚の上唇は魅力的で切れ長の目がいい。頭の天然パーマの小さな渦のように巻いた肉髷もいい。頬に横一線の切り傷のような鋳造上のつなぎ目がちょっと気になるが整ったお顔、である。
 横に回ってみると頭がデカくて重いのか前に頭部を突き出している姿勢である。猫背である。背筋をピッと延ばさなかったのは、頭(ず)を低くするために前屈みの癖なのか、と。後ろに回るとデカい背中である。二つの扉が開いていて20円を払うと中が見学できるらしいのだが誰も背中の中なんか覗きもしない。ふとバカげた空想をした。このデカい背中がかゆい時はどうするのかな、潮風で干からびたときかゆいだろうに、孫の手みたいな道具があるのかな、大仏さん。
 後ろの庭を一回りして庭園の植樹を見る。桜が咲いている。花はまばらであるが色は鮮やかであるから「山桜」ではない。表示札はなかったがその隣に表示札がある松が一本ある。その立札を見ると「昭和62年・タイ国皇太子 御手植の松」とある。去年、タイ国国王の死去の一週間後にタイに旅したから少しばかりタイには親密感がある。「○○ワット」、とかいう寺院をいくつも拝観しその一つ「ワット・ポー」ではどでかい金ぴかの寝転んだ仏像・涅槃仏を見物し、また「ワット・プラケオ」、昔の王宮を観光したものだがこの立札の皇太子は先日国王になられたという事になる。
 前庭の「長谷観音の堂近く 露坐の大仏 おわします♪」と唱歌「鎌倉」でうたわれたその露坐前で記念写真を撮っている外国人観光客一行がいる。どこの国だろう、とその前に行くと横長のツアー名らしい幕を引っ張っていて文字をみてそれは「タイ人」だと理解した。観光ガイド嬢はその奥に今の国王様が今から30年前にここを訪れてこの松を植樹された、と案内されたらタイ人たちはきっと感慨が深いだろうにな、と同じ仏教徒国の敬虔な仏教徒(こちらは葬式仏教徒だが・・・)を思った。そういえばタイの寺院巡りでも最後の旅程でのワット拝観はもう疲れた、という感じではあったが。
 この長谷の高徳院の阿弥陀如来座像・大仏の見学を終えて国道134号線に出て稲村ケ崎の中腹を向こうに進み、七里が浜沿いに左手にはキラキラする波の上で気持ちよさそうにボードを繰るサーファーを見、右手には観光電車的な江ノ電のちんたら走る江ノ電を見⦅なんか「H坂和志」の「季節の記憶」になかの情景のようだなあ・・・山梨から4歳で鎌倉に移住、自宅のある稲村ケ崎が舞台の私小説⦆、江の島への橋をバスで渡って観光土産売店並びのバス停で降ろさそれ、それっ、とあの「江の島神社」を目指すも意気地のない爺は途中の折り返し石段で挫折するものもいたがあの長い折れ折れする石段をやっとこさ登り切り「弁材天」さん、「江ノ島神社」の参拝を終え御朱印を頂き、がくがくする膝を気にしながら(この前来たときはこんなことはなかった、と思いつつ)、その狭い阪の参道で蛸煎餅を喰い、ソフトクリームを舐め舐めする若い観光客の間をすり抜けて待ち合わせの時間にバス停に戻ってきた。結局、あの階段を上り切った仲間はたった 5人。“おまんとう途中でひきかえしていくじがねえじゃん、なにしにきたでえ、ったくだよ”と懐かしい会話のことばを会話のテンポで言い合いつつ藤沢駅で東京組は降ろしてもらう。あとは田舎、じゃなくて故郷で懇親会をそれからやるという。
 いい遠足だった。ほんとうによかったずら。またやるじゃんけ。

*高徳院境内の庭にある記念植樹立札
スポンサーサイト