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 2016年08月 

古より稀なり。 

メイ・サートン日記

 今年の八月、当月がこちらの「古稀」にあたる。「人生七十古稀」と杜甫(宋の時代)の詩にある一言であるのだがそんな昔に稀だったのだから今の時代にはそんな骨董的な齢ではないはずであるが知り合いは祝するようなことを言ってきた。そのように言われてもなんの感慨も無いのだが、意識をすると確かに60台の最後の年齢と70代の最初の日の意識の関係は変わったような気がする。
今の時代、七十が稀とは言わないし、仮にこの言葉が通用されるままとするならば90歳か100歳が「古稀」である。卒寿、白寿なんていう言葉も順送りした方がいい、と思う一方なんか残りの人生のカウントダウンが現実的になってきたような、急かされるような感覚に誕生日周辺の日にちで考えた。
 そんな日にこちらの好んで読むアメリカの作家、詩人「Mイ・S-トン」の「70歳の日記」が翻訳出版された。いいタイミングだ、と早速取り寄せて読み始めた。同じ年代に差し掛かったこの女性(同性愛者であることをカミングアウトしている)が人生の終盤に差し掛かった1982年5月の誕生日から1年間の日記を記録したものだが、以前「独り居の日記」(58歳の一年間の日記)出版も読んでいるファンとしては是非、と云う思いである。
 ベルギーから家族でアメリカに渡りいくつかの地を移りながら最後は独りで(パートナーもすでに亡くしている)でニュー・ハンプシャー州からメイン州に移り、大きな居を構えて小説や詩の創作に没頭する。ここが日記の舞台であり、結果、最後の地にもなった場所での豊かな人生(生活者として、と芸術家としての)のまとめの序章ともいえる場所と定めての暮らしである。
 決して温暖なリゾート的な場所ではなく冬など厳しい場所に"タマス”と″ブランブル”という犬と猫を伴侶にして一人暮らしている。海に面した高台の古い家を手に入れそこから見える、海に至る草原には沢山の野草が繁茂し、そこを手入れして好きな、詩作の次、ぐらいの注力をして様々な草花の苗や球根(大好きなラッパスイセン、クロッカス、チューリップなど)を大量に植えて育てる、いわゆる創作と癒しのガーデニングである。そこには様々な小動物(家の中まで入って来る厄介なアカリス、たまに鹿など)や鳥(ショウジョウコウカンチョウ、メキシコマシコ、やハチドリなど)がやって来ては悪戯されたり、給餌したりしている。そして徐々に親密な友人が少なくなり、その友が遠方より訪ね来ることを楽しみにする。育てた花、ラッパスイセン、百合などをたっぷりと花生けに飾って、白いクロスを広げたテーブルに近くで捕れたロブスターの料理とシャンパン、好きなスコッチなどをたしなみながらモーツアルト、ある時はフォーレなどを聞く時間をゆったりと過ごし、深まった友情を確認する。ふと、ある年齢の人とはこの食事と会話が最後になるかもしれない、と思いつつ・・・。
 また有名になったこの詩人・小説家には手紙がどさっと届き、溜まっている、それに返事を書き、原稿を送ってくる見知らぬ小説家見習いともいえる人には読後のアドバイスをするのだが、これが一番創作時間を奪っているように見える。そして一番気に入った活動が詩の朗読会への出席である(本人は、朗読は耳で聞く音楽、ともいえる、と書いている)。遠方に自ら車を運転して少々の疲れもいとわづ出かけていき、聴衆の拍手と熱気に昂揚し満足する、サイン会も行い熱心な読者とコミュニケーションをとる。その地の友人と旧交を温める、それが楽しい、充実した日となる。
 忙しかった旅から戻って自室の窓から早朝の太陽の昇る時間、夕方は地平線に静かに潜っていく太陽を見続ける。岩にぶつかる波の荒い音も聞こえてくる。やっと落ち着ける自らの家ではしゃいで出迎えてくれるペットを撫でる。
 このようなポジティブで計画的な仕事で忙しいこと、創作(花壇つくりを含めて)を充実させていることが、結局普通の年寄りのおいぼれとなって行くことを、”70稀成り”、と言わせない精神活動と体の活動のバランスを作り出しているのだろう、と同年配のこちらは羨ましい、いいなあ、と憧れては感心する。
 こちらも日記をここ30年近く記している。書かれるのは思索でも詩作でもなく日常のありふれた他愛のない事柄の雑記(ぼやき、愚痴、嘆き、たまに喜びの独り言)であるが、S-トンの日記の文学的でありながら解りやすい、そして抑制された感情をも表現しつつ、70歳というキャリアがもたらすさまざまな社会とのかかわりや意思表示、経験を日記で知る。
「日記は直接自分のために書くべきだということを忘れないこと、つまりそれは存在しない誰かのためということであるーなぜなら書きはじめたとたん、その人間は誰か別の人間になってしまうからだ」。「日記を書いていると、とても心が安らぐし楽しい」という一行を見たとき"そうだ!”と日記が解放区になっている、と思う。「つまり気分は変わりやすいということ、けれども日記を書く人間にとっては、人生は流転が常であり、気分も変わるものだということを知った上で、その時々の自分の気分を可能な限り正確に記録するのが仕事なのだ」という。
「50歳の時とくらべて、70歳の今の方がずっとものごとにうまく対処できている。一つにはストレスがかかったときに理解するのではなく流れに身を任せるようになったからだ、とおもう」と納得する。自分に素直になれる、自分になれるのは「年齢」という経験なのかもしれない。
 さらにこちらのメモに残した言葉は「日記を書くことでものごとを確認し、明確化できると思っている。朝の一時間を何とか日記のために確保すれば、どんな多忙だと文句を言っても幸せな気分になれると、自分自身とも世の中とも折り合いをつけられる」というのはやはり文学者のある文学である日記の創作、についてである、が平凡な人間の日記を忘れづに書き続ける、ということにもその効用はある、と同感である。
 「自分がとても年を取った気がすることがある」、とある詩人の詩を引用して「盛りの花を眺めるには50回の春では少なすぎる」「私には(S-トン)、多くてもあと10回か15回の春しかない、私の生涯はほとんど終わってしまったのだ」と感慨深く、冷静にいう。そうなのだ冒頭で記した丁度、70歳になった誕生日あたりで思ったことは、変化はこのような感慨なのだ。
 この詩人の日記を読み終えて同年齢者が持つ年齢にたいする思いは同じだ。しかし詩人が医者に言われたという「両親の亡くなられた年齢は?」「両親とも75歳前後です」「年齢はかなり遺伝的要因に影響されます」と。というが、こちらの両親はいづれも癌で64歳、と59歳で早くになくなっている。気にかかる年齢である。
 詩人は1995年、今回の日記の後に「82歳の日記」を出版してその翌年に83歳でなくなっている。さて、「82歳の日記」を読み始めるとしよう。20年前の80歳は[古より稀]ではなく普通の、ありきたりの寿命だったかもしれない。その寿命までにあたってのメッセージがそこにはちりばめられている筈だから。それより、も一度今回の日記に付箋を付けたところを見る。この詩人の今(当時の)のレーガン・アメリカの政治への意見、少数者差別への考え、周りで亡くなりつつあるかっての友人への悼みの態度、などの個所に付いている。
 最近の日本の首相の発言に「日本は核兵器を先制攻撃で使うことは否定しない」というようにとれるアメリカ発のニュースがあった。日本国土の防衛だけではなくて、想定される敵国からの日本への攻撃に対してアメリカが先制使用する、という意味なのだろう。「核兵器の凍結をめぐる論議についても同じことがいえる。個人的な関係でも国どうしの関係でも、相手を攻撃することで自分を守ることなどできない」とS・サートンは日記に書いている。
もう一言、子、曰く「七十而従心所欲不踰矩」(七十にしてこころおもむくままに行ったとしても決して軌道を外れることはなくなった)と。そのように弁えることだ、と七十をにして老成をしる。
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