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 2016年04月 

[予]と[余]。 


湯布院・盃

4月14日に熊本で発生した地震は「2016・熊本地震」と命名されたという。そのように命名された地震の後にも小刻みに地震が引き続いていた。そして大きな揺れは収まりつつあると判断して避難していた人たちの多くが自宅に戻るも二日後にまた震度7の地震がその地を襲い被害を受けた家屋の下敷きになって亡くなった方が多くでた。同規模の揺れの地震が一帯を襲ったその地震はこちらこそが「本震」であって二日前の地震は「前震」だという。あの地震の余震ではなく今回の地震の前の段階の地震、前ぶれだったと気象庁の専門の方が解説していた。
「前震」だ、と言われた地震のニュースを知ってその後に発生している地震は余震で、まだまだそれに近い余震が少なくとも一週間は続くだろう、警戒をしてくださいとアナウンスしていた。
「前震」と初めて聞く、続く地震のプロセスであるが、14日の地震が本震と思ってニュースを聞いていた時に家族とこの地震が予震、つまり大地震の“予兆”の地震ていうこともありうるよなあ、といって不安を感じていたのだが、本当にそうなって予兆地震を前震というのだな、と。そして気象庁が改めて言っていた「本震」が、実はその後に起きるかもしれない大地震の前震だった、と後になって訂正されるかもしれない。
一週間たっても震度3,4程度の揺れは今も相変わらずその地を揺すりつづけ、東の方向、大分方向へ伸びてるのだ。この揺れている内陸直下型の活断層の地震帯は紀伊半島の方向に延びているという。
最初に被害を受けた熊本では死者、けが人が多く、避難している人たちもたくさんいる。そして倒壊したりして家を失い、住むが不可能となった危険な家屋がたくさんある。それらの悲惨な状況はTVで見ても、遠くにいる我々は酷い状態に、どうにも言いようのない、何もできない、という臆病な視聴者になっているのだが、その被災地名を聞き、画像を見て今から25,6年前のこの町の懐かしい記憶がよみがえる。
その地、熊本市草葉町というところに仕事の関係で4年間住んでいたことがある。もっとも多くの死者を出した熊本市の東側の地方町には当時の会社の同僚が住まっていたし、職場、お取引先もあった。「前震」の報に接してお見舞いのメールを打つも受信したのか、それどころではないかはわからないが音信はない。あるいは元同僚の妻の実家はA蘇神社の近くである。またも一人の同僚の実家があの一帯の花農家であるが・・・、などなど他人ごとではないのだ。
あの市電、お城、川、アーケード商店街、住んでいたマンションの付近、そして九州一帯を仕事で移動していた国道3号線、高速道路、著名温泉地「Y院」への黄色の電車、新幹線がまだなかった頃の西側の鹿児島本線、東側の日豊本線、それらの交通インフラの被害の状況にあっけにとられてしまった。日夜の復旧作業が進んで新幹線も、鹿児島まで間引きしながらも再開をしているようで九州・北と南をつなぐ綱が一本になったようである。空の便も少しづつ発着ができるようになってきているらしい。電力もガスも水道もそして物流網も、といわゆる暮らしのインフラ復旧まだまだ多くの不自由があるものの国全体の組織力でもって進んでいる。
それでも避難する人が安心して落ち着ける家を確保する、という対策もすすみつつあり、被災者への手助けボランティアの活動も元気づけの助力となっているように見える。
日本の狭い国土には海べりに道路が走り、鉄道が走る。山間部を串刺しするように山を削り、アルプスの裾に地層深くトンネルを通し高い、長い鉄橋を作りして新幹線やリニア・モーターや高速道路を作る。地表の起伏を避けるように一直線ではなく、くねっているその交通インフラである。津波や山崩れ(崩落)や橋の落下、被害などが起きやすい地震帯が“網羅さ”れている、国土の特徴である。
あの畑の緑が真っ二つにずれている地表の様子が写っていた。確かにこの下に断層があってズレを起こしていると示すリアルな状況だった。これが住宅地の下で、都市、高速道路網、鉄道網の途中で起きたらと想像すると恐ろしい。
一方、地中深くには地震の巣、地震の連鎖網のように地震帯が短く、長く、縦に横にと配線されているように埋まっている。そして海中のさらに深いところには同じようにプレート断層という地震の素、が眠っているのだ。この国土の成り立ちからして避けられない定めを持っている。“いつ来てもおかしくない南海大地震”、“その最大の被害は・・・”とあんまり脅すなよ、と言いたくなるが、不確定な情報(研究者の予知情報、説)には敏感ではない。しかし必ず来る、は確かなのだ。過去のそれによる被災は歴史的に見て頻度が高いのだが、一定の規則は見られないのだから困ってしまう。都合よく何世紀も起きないでほしい、首都圏は避けてくれるだろう、という不確定な予測でもって、やがて忘れてしまう頃に・・・。
今回の「熊本地震」の地に暮らしていた間、赴任最初の年には普賢岳の噴火があり、台風19号だったかが襲い、はいじめて南の地での様々な自然災害を経験した。そして鹿児島の甲突川の氾濫、博多の水不足、台風による市内の浸水、と。しかしこの地に活断層帯二本(日奈久断層帯、布川断層帯)が交差している震源地になるということ、そしてさらに多くの断層帯が密集しているということは全く知らなかった。その交差して伸びて連動するクロスポイントで震度7レベルの「前震」、と「本震」が生まれた。もしかしたらこれらもいわゆる「予震」で、今も続いている「余震」がこれからあるかもしれない「後震」の前兆というのもあるのだろうか、震度7を超える“真震”と言わざるを得ない気になる「前・本・後」である。
こちらは予報官でも地震研究者でも地質学者でもないからいい加減な勝手な想像はあてにならないが、最近、よく体感する小さな地震でカタカタという物が出す音に怯える。この後に本震が来たら、と棚やテーブルの下のさまを確認する。

*湯布院の骨董屋で求めた盃。(縦にひび割れの線がある)
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