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 2015年02月 

記憶に残る演説 

加藤陽子著書
こちらが購読している活字新聞は経済紙だからか、この政治家の死亡記事は小さな囲み記事であったのだが、ある感慨がある演説をした政治家であった。1月の31日に亡くなったという元・西ドイツの大統領、東西ドイツが統一された初代の大統領でもある「Vオン・Wイツゼッカー」のあの有名な演説が紹介されていた。この演説をもって死亡記事が紹介されるほど著名な演説であって、30年前の1985年のドイツ連邦議会での演説は日本でも新聞(購読していたのは一般紙のA)で当時は大きく紹介され読んで感動をしたものだった。政治家の演説、となると胡散臭かったり、芝居がかったり(パフォーマンスの手振り、言葉の使い方が派手な)の演説が多く、聴衆である国民の感動を呼ぶ、というような経験は少なかったのだがその中でもアメリカの「ケネディーの大統領就任演説」とこの「Wイツゼッカーの演説」はそのアメリカ、ドイツの自国民ならず海外の多くの人たちにとっても記憶に残る歴史的な演説、感動をした演説ではなかったか、と思っている。
当時のその演説は日本ではI波書店から薄い小冊子(ブック・レット)で出版されて逸早く購入して読んだものだった。死の報にあたって早速に本棚を探したのだが乱雑な棚の奥にあるのだろうか見当たらない。再読は今のところままならぬのだがその演説の良く引用されるところを転記してみる。
第二次世界大戦終戦の40周年記念として1985年5月の「荒野の40年」と題された議会演説で「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」とナチス・ドイツによる犯罪を「ドイツ人全員が負う責任」だと強調し、歴史を直視するようにドイツ国民に促したのだ。「「外国で自分たちがどう見られているかばかりを考えるべきではない。もっとも重要なのは鏡に映る自分たちの姿に何を見出すか、だ」とも。この演説での言葉、精神・思想は90年に東西ドイツが統一された後も「ドイツの戦争責任を語る際の規範となった」と新聞の記事は伝えている。
その統一がなった1990年には統合の熱狂に対して、周辺国に「強いドイツ」復活の懸念があることを認め、欧州統合のの推進力になることを誓った、という。
ところで戦後70年、国内ではその「70年の談話」なる首相のいま世界に発するメッセージを、前例に倣うことなく出したいと意気込んでいる。過去に「M首相の50年談話」や「K首相の60年談話」などのいわゆるリベラル(懐かしい言葉である)派と位置づけられる当時の政治家等のトップが日本の過去(戦争時)において諸外国、特に周辺の国に対して行ってきた「植民地化侵略戦争」を「反省」するという“談話”をアメリカを含めて近隣諸外国が納得していたのだが、その日本の謙虚な反省姿勢を根本から変えたい、侵略の定義が定まっていない、とか自らの歴史認識が過去のそのような文言にとらわれることなく(とほのめかしつつ反応を探っている)、新たな言葉で「未来志向」の「積極的平和外交」で日本の立ち位置をはっきりと主張したい、と言い始めている。
それ(過去の談話を変えていきたい、という現政権の方向)に対して異議を持つ野党や与党の一部、そして少なくない国民の抱く違和感などの空気を感じて、早速にその「70年談話」の内容を詰める濾過装置的な知識人の委員人選がなされての会合が発足させられた。
勿論、今の内閣がその人達を任命をしたのだから、その内閣の意向を斟酌したメンバーによる“上等な談話”を期待して(その人たちの口を借りて)いるらしい。
あの準公共的機関である放送局の会長も委員もそのような内閣の意向で選ばれたが、勢い余って明確に右的な発言・行動が目に余り再任されなかった小説家や国会議員と冷静な討論をすべき委員会の場で顔を赤らめて激しい口論をしてその職位にふさわしいか、身の程を弁えづ議員とバトルをしたり、品位もあった者ではない、と問われている会長は、いずれにしても勢力のある内閣の今の方向性、意向を汲んでの強気発言である。
ここをしっかりと押さえればマスコミ全体もナラエ!になる筈とばかりである。内閣の長も予算委員会で何とも時代錯誤的な言葉で野党の発言を野次って、委員長(さすがにベテラン委員長らしい!)からその場で発言に対して注意を受け、「すまん」という反省をしたとか、新聞には書いてあった。数、が政治ではあろうが少し謙虚にいかなくちゃあ、いかんな、という与党の先輩のたしなめの気持ちだった。
また喫緊の話題で、自衛隊の海外派遣に対しての法律の改訂も論議されている。この機にその辺をしっかりと論議して今の自衛隊の活動を“積極的平和外交”の一つの根拠となる力として活用しよう、ということである。今も自衛隊は中東やアフリカなどの多くの国、エリアに国連軍活動の後方支援として派遣されていると思う。意外と国民はどこに(内戦・紛争エリア)、どれだけ派遣自衛隊隊員)、資金的に物質的に非軍事支援、人道支援をしているか、あまり承知していないのではなかろうか。
そのような平和的な活動がいずれは戦地にもっと突っ込んだ武器供給支援、兵站支援活動、など一歩前に、のなし崩し的自衛隊派遣がなされるような解釈が成り立つ、改訂がなされそうな気配である。心配しすぎなのかもしれないが、「いつか来た道」、歴史である。そして自衛隊の「周辺」での、アメリカの軍事活動にたいして日本の安全のための(直接的、間接的いかんを問わない)行動に対しての支援をする事は認められるように、という集団自衛権の活動範囲が「周辺」という地理的な狭域範囲だと想定していたがその地理的概念ではない、と言い始めたのだ。周辺、と言えば朝鮮半島や日本から海をえ立てているも隣国といえる東南アジア、北のロシア辺りを想定している筈、であるが、そうではなく周辺の定義を明確にしたい、と言い出した。つまり国民の安全という大義のその周りの物事、例えば「石油エネルギーの確保」「海外平和活動の安全」とか非軍事的な事態を「国民安全の周辺のこと」と拡大解釈するような意向である。そのような事態に自衛隊を派遣して障害の除去活動をする、あるいは武器の使用でなければ除去できない、海賊、テロに対して武器を使う。
さらに集団的自衛権は多くの国民が安全保障条約を締結している「アメリカ」と同盟を結んで自衛にあたる、としているが
地球の下半分のところに位置するオーストラリアとも連動したい、と言い出している。軍事同盟的な対象国を拡大しようとしている。
日本が大戦につんのめっていった、明らかに侵略していった大義はそれらの欧州各国の植民地から日本が「開放する」と言いつつその欧州各国が得ていた燃料などの利権を横取りするためであり、そのための戦争であったのだ。そしてその風潮がいつの間にか国民に形成されて世界大戦での敗戦になった歴史を見、その地でのことを反省しなければならないのはドイツの元・大統領がドイツ国民に訴えた演説と重なるのだ。その演説から30年を経て、こちらを含めて戦争を知らない、勿論軍隊経験も、海外派兵の経験もない国民が知らなければならない、気を付けなければならないことが多いのだが、なんか物事がすらっと進んでいくような時代風潮である。一人の外国の政治家の死に際して、考えたことである。

写真:「K藤陽子」さんの著書のタイトルの『』内の言葉は何か?
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