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横に座る人は、首をかしげている。 

オリンピックバッチ



戦時中、だから70年近く昔のことになる。その当時、“敵性言葉”といって輸入カタカナ単語などの使用を禁ずる!、と当時の政府が英米語の利用を厳しく取り締まり、芸能人のカタカナ名は日本語に改めさせ、日本にいる外国人の名前は発音に近い漢字を当て、流行りのカタカナ外国語も日本語に置き換えられて、輸入スポーツは漢字を当てさせられて、かなり滑稽な日本語に無理やり直して使っていたと、大日本帝国の言葉に対する統制、締め付けの国粋主義的時代風潮があったと聞いたことがある。
つい最近、「エヌHK」の使用する言葉にカタカナ言葉が多く「外国語が乱用され、精神的苦痛を受けた」、と御年71歳の男性がその放送局に慰謝料請求訴訟をした、とニュースになった。その方は年齢で見れば1942年頃の生まれで第二次世界大戦の終戦時は3歳、というから当時の“敵性言葉”の使用経験はないはずだ。しかし、“日本語を大事にしよう”とこの時期に云うのは、「日本を取り戻そう」、とか「美しい日本」といったキャッチフレーズ(いや宣伝文句)を発していた方の風潮に丁度あっているかもしれない。〝そうだ、その通り”とその方は首肯したかもしれない。いやいやそのえらい方だって最近は「Aベノミクス」とか称されるカタカナ経済施策の名称にまんざらでもなさそうだが・・・。
確かに世代によっては、あるいは携わる仕事の世界によってはカタカナ外国語(国内では決してひらがななどが入らないガチガチ漢字文とその略文字混合文やハングル文字はメジャーな文字としては流通していない)の活用が多く、理解できない、違う言語圏にいるがごとくの錯覚を感じることもある。
たとえば昨日の新聞のある通信機器の新発売の短い記事の中のカタカナ言葉を拾ってみると「iフォン、モバイル、スマホ、タブレット、ガラケー、アプリ、デジカメ、・・・」このカタカナ言葉を続ける文章記事は、僅かなひらがなと漢字が接着剤のように挟まっているだけの記事である。商品名、機能の名前、スマートフォーンを略した“三文字単語”(スマホ)、もっとわからないのがガラパゴス化(これさえ意味がよくわからない)した携帯のことをいう”短縮言葉”等々、こんがらがってわからない記号のような言語の世界である。
当然あの爺さんは“スマホ”は用いていないだろう、と思う。身近にある、通信の世界、ITの世界、金融の世界、化学の世界、医療の世界、ファッションの世界などなど、もはや他の隣接世界の言葉は解説がつかないとわからない。わかったつもりで、知ったかぶりをすると、とんでもない恥かきをし、勘違いを起こし、損失をこうむるのだ。そのカタカナ言葉を流用したり、略したり、日本語と合体させたりと増々わからなくなるのだ。その領域世界に生息する業界人には共通語であって、生息域の違う者にとっては異次元である、異世界である。世代が違うと高齢者の使う日本語、敬語などはまさに逆“ガラ語”である。
そしてマスコミも新しい言葉に迎合し情報を発信している。わざわざ略号の正式名をカッコ書きにして引用して普及につとめている。若い世代は何にでも雰囲気英語を用い、なおかつそれを3,4文字程度に略したり、逆さ読みをしてみたりと、もてあそんである。71歳の方の苦言も解るような気がする。あの時代にもインテリゲンチャー(正式にはこういう)なんぞは競って「フランス語、ドイツ語」などを会話に挟み、進んだ知識、海外の風潮を得意に語り、書いては属するインテリ圏を作っていたこともある。
しかし、今のインターネット時代の言葉の流れは止めようもないだろう。“不都合な”ことにならないように、と権力者が規制するのは無理なことであろう。規制しているうちに遅れてきた国、となってしまうのは目に見えてきている。反倫理的(どのような社会の倫理観に対して“反”なのか。反体制なことなのか)なことであろうが、風紀紊乱な情報であろうが、不道徳低俗なことであろうが、それらの施設であろうが、常にどこかに抜け道があり、違った価値観の追及者の要求が満たされるのだ。その中での権力による規制は無理な歪みを生み、さらに困った状態になっていくように思うのだ。
さて、本題はその英語用語の意味が解らない。しゃべっている人の意味するところと、聞いたものが理解する意味とが違う。もしかしたら発言者、聴衆ともわかっていないのか、わかっていて予定調和的な事なのか。
それはオリンピック招致委員会での政府トップの「原子力放射性物質」による「汚染水は、完全にコントロールされている。海水の0.3キロ平方キロの湾中でブロックされている。」とプレゼンテーションの中で、堂々と両手を広げて、海外のマスコミの「福島第一原発事故による汚染水は大丈夫か?」という質問に、自信たっぷりに胸を張ったのだ。それを聞いていて驚いたのは日本の国民だった。“えっ、ほんとかよ。初耳だ”と多くのTVを見ていた日本人、それも青の地域の人たちは思ったのではなかったか。しかし、オリンピック委員会の委員長は「2020 TOKYO」というボードを掲げて、開催都市は「TOKYO」と決定した。アルゼンチンに行った日本の招致チームは抱き合って喜び、その臨場感は日本にも伝わり、TV放映している場面では皆大いに盛り上がっていた。事前にもこんなに日本人って熱望していたっけ?、というような熱い盛り上がりであった。熱しやすいなあ。
そして、帰ってきたとたんにあのプレゼンチームの政府のトップの横に座り、開催都市のトップでもある人が「汚染水はアンダー・コントロールである」というじゃないか。そして、東京電力の幹部も「コントロールされているとは考えない。という。今も大量に汚染水は漏れ出しているのだ。さらに、党の総裁の横に座る副総裁も「コントロールされてはいない」。「コントロールするように努力する、という意味でトップは言ったのだ」、と。胸を張った日本のトップが発言したことを横に座る仲間がみな「あれは、あの場で、ああいうよりしょうがないのだ。コントロールをする、していく、ということだ、それが本意だ」とばかりにひっくり返す。確かに、状態から見ても汚染水は相変わらず、止まらづに海に流れ込んでいる。とってしまえばこっちのものだ、どっち道、開催都市がイスタンブールにもマドリッドにも変更になるわけがない、という事前の打ち合わせ、事前想定質問への予定回答なのだ。
英国のコンサルタント会社と契約をして招致プレゼンテーションを難なくこなした。自信を持って「“コントロール”と言ってください。それに対して突っ込んだ質問は出ません!」とのアドバイスかもしれない。そうでなければ、両手を広げたあの表情と自信たっぷりのポーズは出てこない。
一体に、「コントロール」とは何を意味するのか。「統制」と辞書的には言うのだが、「ゼロ」を意味はしない。ある目標があって、それを意図して達成する過程をいうように、仕事では使っていた。海に流れ出る汚染水の排水がゼロを方針としていたならば、コントロールできていない状況である。どのレベルが目標値でそれに対してどうなのか、なのだ。しかし都政のトップでプレゼン会場で横に座った人が言う「アンダー・コントロール」とは「できていない、目標を下回っているコントロール出来ていない状態」という意味だろう。コントロールされている状況下にある、とは理解しえない。アルゼンチンから帰国したトップは福島第一原発を視察した。相変わらず「湾内で完全にブロックされている」「状況はコントロールされている」、と発言しているいう。被災地の不安な心配顔を知ったうえで、強弁とも取れる発言をしている。一体、根拠とするデータは何をもとになされて、誰の報告によって、そういう発言が出てくるのだろうか。
往々にして、会社でもそうであったが、都合が悪い時には外来語でごまかす、向きを変えるために使う人も結構いた。その言葉の意味を理解する人が少なく、かといって、それは何のこと?、とも聞き返せない言語不良の我は意味も不明のまま、というのもあるにはあった。決してわかったつもりで黙したのではない。また、外来語をやたらに散らした提案書で権威付けをしたつもりのコンサル(コンサルタント)もいた。
何かの折に肝心なところで「外来語」を用いる手合いがいたら、ちょっと疑って「それってどういうことか」ともう一つ突っ込むことも必要なのだ。その言葉の使用者が汗をかくぐらいが丁度よい。もしかしたら、あの71歳・男性はいいところを突いているかもしれない。政治家の外来語使用は、気をつけよ、と。政治家も気を付けたほうがいい。Rーガノミクスという向こうの国のうまくいった経済施策があって、それに引っ付けて“〇△ミクス”ともてはやす語呂合わせの上手な経済マスコミがいた。何のことはない、“安倍のみ(が)クスッ”っといわれているかもしれない。
会社で業績報告をするときに芳しくない成績に対して「今後コントロールします」と、利益の計画値の必達をあやふやに約束をして言い逃れをするのだが、ややもすると意地の悪い上司(当たり前のことだが)が「どの手法で、その額を確保するか具体的に、聞きたい」と、単なるその場しのぎの返答をすると、突っ込んできたものだ。冷や汗ものなのだ。最後に、いいから「きちっと、コントロールしろよ。」というのは「調整しろよ、帳尻を」と言っているに等しかった。
トイレに入った孫が「トレパ!」と言っている。トレーニング・パンツのことではない。「?」。昔でいえば母ちゃん、紙~い、と言っているらしい。

*招致都市の職員から「いくつでもいいよ」と沢山渡されたが、国のトップ、と都のトップが胸につけているものと同じデザインの「二つ」をいただく。無料。
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