FC2ブログ

月別アーカイブ

 2013年06月 

引き立つ時分。 

砂苔


梅雨の今頃は様々な樹木の葉や幹の肌がしっとりと鮮やかに濡らされて、呼吸するのが気持ち良い。道端の紫露草や池に咲く睡蓮は格別な色彩である。また、低木の山桜桃梅の濡れて光る小さな赤い透明の実なども捥ぎたくはなるほど鈴なりにつけているのも趣がある。
そんな中であまりにも目立たないが大きな樹木の根元とそれが作る枝陰や家塀の陰などに、この梅雨時に一番映える色合いで柔らかく緑色をこんもりと盛っている苔の美しさも他の植物の美しさに負けず劣らづ、である。石垣の隙間、長方形の敷石を互い違いに敷いた目地などにきちっと石の矩形を象るように緑色の形を作っている小さな苔もまた良い。
今日、在ることに気が付いたその美しさは「砂苔」が少しずつの塊で、ところどころ樹元に繁殖していて、ジッと見ると金平糖のような形の一葉、一葉が固まって、その先には先程までのほんの小さな雨滴を乗せている。これを吸収するのだろうか、黄緑色の鮮やかさを強調している。少しでも雨が途絶えて日差しが強いと、その小さな一葉の表面は身を窄ませて色気も水気を失ってしまう。
今の住まいに引っ越してきたばかりのころ、庭木の裾の一寸した空きに、飛び石の周りに「杉苔」を敷き詰めたことがある。インターネットで静岡の苔屋さんから四角に裁断されたマット状の苔が幾つかの段ボール箱に詰められて、届けられた。早速地面を柔らかく解し、それを張りつめ角に割箸を刺して剥げないように、捲れないようにまでして、そんなに、というぐらいホースで水をたっぷりと掛けた。杉葉のような苔は水を吸うと葉が立ち、鮮やかになる。秋には素晴らしい苔の小さな地面が出来上がり、赤、黄色の落ち葉も引き立つだろう、と期待しながら、夏が過ぎた。しかしいつの間にか葉は茶色の太い毛糸のように成り、少しずつ面積を狭め、結果的に土壌に合わなかったのか、樹陰に貼りこんだつもりだがそれでも陽射しが強かったのかは解らないが、種も落とさずに枯れて消滅してしまった。
今は跡形もない。芝と違って陽射しが強いのは苦手だったのかも知れない。今は、苔を愉しむのは、他人の家の石垣や寺の敷石の隙間や、雑木林の裾などで雨の季節にしかこの鮮緑は楽しめない。それでも乾季などでもわづかな水分によって生きながらえているのだから強靭な生命力である。
この「砂苔」は多分、“苔寺”などで毎朝竹箒で撫でられるように、手が掛けられるような情趣のある種類ではないだろう。“雑苔”的な扱いを受ける種類かもしれぬが、それは好みの問題である。今の時期を過ぎると一葉の中に黄色い本当に小さな花を沢山に付ける。その時期が近づいている。
緑苔の美しい今、京都などの名園の沢山の種類の苔は様々な緑色のアンジュレーションで苔美を争っているだろうが、あまり話題にはならない。その苔があってこその、もみじが美しく紅葉し鑑賞できる季節、紅葉の美しさを引き立たせる秋はずっと遅い寒くなりかけの時期だろう。緑と色々な紅葉の色の対照を鑑賞する時期まではたっぷりと時間がある。地面の滋養を蓄えて体調を整えておいてよ。
こちらは「苔を引き立たせる、紅葉」を見に行く。ジメジメした日陰者のような「苔」に関心を持つって、きわめてマイナー趣味だなあ。サボテンの愛好家のように、“苔愛好家”何て人は世間にはいるだろうが、湿っぽく陰でひっそりと愛でているのだろうな。
「そっちの、“すな”はどう?、こっちはさ、こっそりとあそこで新しい、珍しいのを手に入れた!、より先が長くて、しっとりとしていて、色も黄緑色が鮮明でさ。夜も元気だ!」、「声が大きいよお!」、何て会話がされているような趣味の小さな世界を想像する。でも、足元の何ともない小さな苔に瞬間の「美しい」と、おもえる気分はその日の気持ちをほんの少し豊かにしてくれる。こちらの気持ち次第で「美しい」はあるのだ。
最近は環境対策として脚光を浴びているらしい。CO2を吸収する、そして酸素を排出する。そのために空き地に、ビルの屋上などに張りつめてその効果を期待する。別にパネルを貼って、ということではなくて普通の地面に、極端に言えばガラスやステンレスの板に乗っけていても肥料は要らず、普通の天候にも強く(乾燥、陽射し、寒さなど)、初期の経費や維持費もかからず(安い)といういいことづくめのことで、ちまちました趣味のものから大きな役割が期待されているらしいのだ。苔が!。

偶には梅雨の合間のカラッとした天気になれよ、気候が湿っぽく成りっぱなしでは体、腰にも、気持ちにもよくない。株価は天気のせいではないが・・・。
スポンサーサイト