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 2013年05月 

ノスタルジックな。 

ル・マル・デュ・ペイ



桁違いの売れ行きをしている人気作家の、前の小説作品では「Jナーチェフ」の「Sンフォニエッタ」がキー曲になっていた。小説作品とともにそのCDも売れたらしい。その後、この作曲家が急に話題になりコンサートでもこの作曲家の作品が演奏されたりして、その曲を聞いたこともあった。
作家の最新作「・・・を持たないT崎つくると、・・・」の中でも当然の如くにクラシックの曲以外に様々な場面で様々な曲が小道具的に引かれているが、なんといっても今回の主曲は小説のテーマに相応しいものである。そしてその曲の入ったCDをやっと手に入れて聞いた多くの人はいい曲だと、解りやすい曲だと反応しただろう。既にこの小説家の久しぶりの最新作は既に版を10版以上は優に超え、つまり100万部以上は販売している勘定だという。いまだに都心の大型書店の店頭には山積み状態である。伴って、このCD(1977年5月 ミュンヘン録音)も急遽、新たに版を起こしたらしい。
その曲は「Fランツ・Lスト」の「J礼の年」という、静かな曲が小説の展開の基軸になっていて、使われ方が旨いなあ、と思う。この小説家Mはジャズはもとよりクラシックにもやたら詳しい。あのマエストロのO澤氏とは対談集を発表しているし(「O澤征爾さんと、音楽について話をする」という著書)マエストロと対等にクラシック論を交え、その聞き方の深さ、知識の幅、聞いた生演奏の幅広さと楽譜の理解の深さ、指揮、演奏の技術の理解等にはO氏も舌を巻いているのが、非常に興味深い対談集だった)、そういった意味では小説に中に相応しい曲を添えるのも、お手のものなのだろう。Lストのピアノ曲を用いるのは「国境の・・・」以来2度目になるからピアノ曲、それもこの作曲家のものは好みなのだろう。
今回のこの曲の使われ方は物語りの様々な展開の中で出て来る。地方の大都市の中流の上クラスの家庭に育った、同じ高校だった5人組の清純な男女の、いわゆるグループ交際が卒業とともに崩壊する。主人公は一人だけ東京に出て工学系の大学から鉄道会社に就職する。男3人、女性2人のグループで地方に残った4人も地元有名大学に進学してグループは地方でも少しずつ疎遠になり崩れていくのだが、東京に出た一人はなぜか残った4人に今までの親密なつながりを訳も解らず拒絶されてしまう。
家庭は中でも一番裕福だが精神的には強くない、自立心がそれ程強靭ではない育ちの良さもある主人公は、初めての厳しい事態に参ってしまい死にたい、と考えるほどに落ち込む。そんな時不思議な夢ー嫉妬に苛まれる夢を見る。そして肉体と精神の分離することを夢の中の女性に求められる、変な夢を見たのだ。何の伏線だろうか、と小説の展開を細かく読む。
友達の出来ない大学生時代の後半、2学年下の性格がオトナシイ、そして性格が波長の合う数少ない友人がプールで、見つける。名前は「灰田」という。(この灰という色の姓も意味がある名付けか)。父親は地方の大学教授で彼は知的な表情をもち、ハンサムでクラシック音楽の素養もある。要は、好みのタイプの年下の唯一の友人、となる。どちらも群れずに孤独を好むタイプなのだ。
彼が「Fランツ・Lスト」のCDを持っていて、その中の『J礼の年』に中の第一年<スイス>の八番目の曲「ル・マル・デュ・ペイ」(ラザール・ベルマン)を掛けているのに気づく。これはあのシロがよく弾いてくれた曲だな。静かにしっとりとした田園風景を髣髴とさせる良い曲ではある。
ある夜、夢を見る。16・7歳のシロとクロがつくるの両脇に裸で寝ている。体を密着してつくるの体を
まさぐり、交わる。シロの中に入った。そこに「灰田」がいて口でつくるの放出を受ける。シロとクロの作ったハイ色がいて何ともオカシナ4人による交歓の夢。夢か真実か。つくるにはあの曲が流れる。
その後、灰田の置いていったCDを聞きながら、灰田とシロを思い出し、この夜の夢を辿っているのか。
そこに仕事で付き合いの出来た二つ年上の魅力的な、仕事の出来る女性Sに惹かれていく。そのうじうじした悩みを彼女はてきぱきとアドバイスを行い、軟弱な男はその女性に背中を強く押されて、時分をあんなにまで強く拒否した4人の元仲間を訪ねることにした。「うじうじしていてもしょうがないでしょ!」とばかりに。Sは4人の現在を手早く調査をして、そのうちの一人のモデル体型の奥ゆかしい美女でピアノが上手だったあのシロ(白根)は不明、と云われる。早速生まれ育った地方大都市にアポなしで向かい、どうして自分が仲間からつまはじきにされたのかを仲間に聞きはじめる。
アカ(赤松)の父親は大学教授で頑固で優秀だった男は今は教育コンサルをやっている、アオ(青海)という明るくてラガーマンだった彼は高級車のセールスマン、クロ(黒埜)は生き生きとして活発な愛嬌のある女性は今はフィンランドで結婚して作陶している、という。主人公「T崎つくる」以外は赤、青、黒、白と姓名に色彩を持つ。まあ“色遊び”である。主人公だけが色彩の無い、個性のない、特徴のない、自ら主張をしない、ということか。この色を名におびたそれぞれの元の親友と、シロという今は色の消えた友を訪ねあるく物語。
今はその地に残った者も行き来はばらばらで、かっての清純な友達交際は当然ながら途絶えていて、各人それぞれらしい生活がある。そこでアオが打ち明けたのは、つくるがシロとレイプの如く強引に交わったことを、シロが仲間に言ってきたその事件が原因となり皆でつくると交信をとだえさせたのだ、と聞かされる。
かっての仲間はシロがそれで妊娠をし、流産をした、と言うそれを信じがたいが、信じた、と。そしてシロはその後、誰かに絞殺された、という話を続ける。アオ、おまえシロがよく弾いていた「ル・マル・デュ・ペイ」を憶えているか?、と聞くも「よくわからない」との返事。
“もしかしたら、自分は自分がきずかない場所や時間にシロをレイプしたのかもしれない、彼女の心を切り裂いたかもしれないと思ったりもする”、何が真実でなにが夢か、何が肉体で何が心か、わからない。出掛
最後の「巡礼」にフィンランドに突然クロを訪ねる。フィンランド人の夫と陶芸をやっていて永住している。出掛ける前に灰田の置き土産となった「ル・マル・デュ・ペイ」を聴いた。そしてフィンランドでクロに「覚えているか、シロの弾く「ル・マル・デュ・ペイ」を」、と聞くと。「もちろんよく覚えている。今でも時々聴いている。聞いてみる?」。シロが自宅の応接室のピアノで演奏している光景を二人で思い出している。「その静かなメランコリックな曲は彼の心を包んでいる不定形な哀しみに少しずつ輪郭を賦与していくことになる」。巡礼に当たってこの曲をその都度思いだし、話題にし、聞いている。クロの聞いているのは「アルフレート・ブレンデル」だ、とさすがは詳しいM氏。結局、シロを取り巻く4人の「ル・マル・デュ・ペイ」の記憶、印象、感じ方などがシロとのかかわりの深さを知ることになる。もっともシロと親しかったクロと別れ際に強く胸の豊かさを感じながら、長いハグをして巡礼は終わる。この地でこの曲を聴きながら、つくるは総てを受け入れることができた、と。人と人の心は調和だけで結びついているのではない、それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと傷みによって脆さと脆さによってつながっているのだ。これが結論、かな。
フィンランドからの帰り際にクロから「Sを離さないように」と強く背中を押されて、日本に向かった。巡礼に出ることになったのも、巡礼を終えられたのも、逞しい女性のSやクロから自立しなさい、との励ましからだった。そのようにクロから強く背中を押されてフィンランドから帰ってきたにもかかわらず、あのSとの関係を進めずにぐずぐずとだらしない、というか決められない優柔不断な男である。自らの駅舎を作れないのだ。もしかしたらあの奇妙な夢の関係が現実でありたい、もしかしてシロを潜在的に好きで、だからシロから犯された、と言われても、肉体的には記憶はないが心のなかでは現実的な事象以上に激しくシロと交わったかもしれない、屹度そうかもしれない。そういう関係を求めていたのは事実だ、と。
でもあの「灰田」の役割、4人の交歓図は今も解らない。変な興味だが“つくる”にはその「ケ」があったのか、わからない。ここはどんな伏線があるのか、読めない。

今後、どこかのオーケストラの定期演奏会で屹度、この「ル・マル・デュ・ペイ」が取り上げられるだろうな。丁度、アンコール曲にも相応しい曲だ。

*写真:左がF/リストの「巡礼の年」(ラザール・ベルマン/ピアノ)、右がL/ヤナーチェフの「シンフォニエッタ」(ロヴロ・マタチッチ指揮)CD
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