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 2012年06月 

「力」がついてきた。 

老人力2



暇なときには本屋をうろつく。そして新刊本や読書中の本に引率されて、ほかの著書名をメモに取っておく。それは財布に入れてあるはず。さて、どの本だっけとメモを探すがない。著者名、著書名、出版社等が出てこない。新書版であることは確かなのだ。「えーと、なんだっけ・・」と記憶が引き出せない。関わりの在りそうなキーワードを思い出そうにも、出てこない。その著書が出ていた書籍は店頭にはない。愈々、「老人力」がついてきたな、と自覚する。
新書の棚を「あ」から左にタイトルを見始める。「うーんと、ッたく」と、それを意識するのを払拭しよう、とするが、その拘りが頭から離れないためにタイトルを見る目が虚ろで、脳内の超細粒子がもやもやのなかを彷徨い、未だに探そうとしている。この状態は不快なものだ。この症候もパワーのひとつか。
そのように見ていくと新書のタイトルに「○○力」なる書名が、平台に、書棚に何とたくさんあることか、「力」が本屋には漲っている。
何十万部突破と販促用の帯がついているのは、有名な文学者を父に持つ、タレントのA嬢の(といっても55歳らしい)「Kく力」で、推薦文はお笑いの大御所が、一言書いている。TVや週刊誌でのセミプロ的なインタビュアー的会話を楽しませる、“ポイ、聴き方”を簡単に書いたもので、購入するほどの興味は当方にはない。また、「Nむ力」がヒットしたため出版社から急かされて「続・Nむ力」を出したT大の教授の新書も大台に乗りそうな続本の売り上げらしい。
この2冊が今を旬に売り上げている新書「力・本」のベストセラーで大量に増刷し店頭では山積み状態である。
この人とは論争で勝てそうなのはあの知事しかいない、「Iの瀬」という作家・ジャーナリストも著書を出していて行政のトップ・リーダーシップを多分書いているだろう「k断する力」があるが、その以前には「T破する力」も出版されていて、この行政のトップでもある作家の行政力・論理力がまくしたてられて居そうである。本業である作家として「K葉の力」も出している。興味ある「力・本」作家の著書群である。
この人の著書か、と思ったらなんと「H断力」というタイトルの下にあった著者名は、将棋界の大物「H生」で、勝負師らしいここ一発の一駒の事でも書いているのだろう。
そっちの世界がそう出るならとばかりに、一方の盤上での勝負師である「T川」大物が「K想力」を書いている。体力が勝負のスポーツ系でもいました、「Y下」の背負い投げ、いや「背負い続ける力」という著書でる。
そのほかにも書く事なら任せろとばかりに大学教授の「S藤」は、毎年シリーズの如く「○力」本を出版しつづけているし(書棚にならんでいる)、放送局で人気であった、”解らないことは何でも聞いてくれ””知らないことはないから”とばかりに、「I上」は、そうだったんだ、と解りやすい、「力・本」も出している。あの先生・作家は流石にタイトルに「力」の文字はつけないだろう、と思っていたら、作家の「I木」や人気の学者系の「Y老」先生も「力」の販売パワーに負けたらしく、著書が目に付いた。
あの権威の「A新聞」だって、「仕事力」と捻りもなにも無いタイトルで3冊出している。ブームなのだろう。ビジネス本にも手軽に分かる「・・力」と付くタイトルが沢山ある。
しかし、多くの「力・本」は真面目に真剣に(過ぎるくらいに)に取り組んでいる内容である。暮らしや仕事のハウツーものもあるし、得意技(かっての自慢もある)を披露するものもある。それぞれの著者が固有の「力」をもっているのだから、最もふさわしい売り物の力なのだ。
この『力』本の”本家”“元祖””本舗””宗家”は、あの1998年出版された著書『老人力』であろうと思う。
その「力」宗家流派の宗旨は原作者・「A瀬川原平」のエッセイが総てである。「ボケも一つの新しい力なんだから、もっと積極的に”老人力”なんてどうだろう。いいねえ、”老人力”」と遊び人仲間で決定!した言葉である。「老人力とは日本で発見されたエネルギー資源だ、恥ずかしい力でなく隠さなくても良い自然の力」「老人力とは忘れることのしょうがなさ、というか面白さ、というか・・・」、「ボケを何とか自分の人生の得意とする。物忘れは確かだが、それをたとえばゆとりとして活用する。人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気が付けば転んでいる状態なのだ。転んでもただで起きない。」
この力は従来のネガティブな言葉としての使用方法を、一寸ずらした、一寸ぬけた、一寸ボカシタ(ぼけた)ように”リキミ”を外した形でポジティブに使うのが宗家の用語使用法であった。それには納得したのだが、本屋に並ぶ各「力・本」は、まじめで、どうにかしよう、どうにかする方法、として「力」に頼る本らしい。
かってのネガティブな状態・状況を表現する「鈍感」「鬱」「不安」などをキーワードとした「力・本」もあるが、それを正の力として受け止め、おのずから変わるのを自然体で受け止めて書かれているのであれば、”宗家”に近いかもしれない。今後も、上記2冊の“力著書人気”に便乗して「○▽□力」本が人気者を作家にして出版されていくだろう。
力がないがゆえに路頭、いや店頭で迷う、悩む市民を力づけよう、としながら結果的に自らの力の無さを自覚させる様な、肩に力の入った本が。
本屋の前で、一層、老人力がパワーアップしてきた。本屋で充電されてエネルギーが充溢してきたと再度、自覚する。 まだ思い出せず、いらいらと「なんだっけな!」と、未だこだわっている(忘れたいことが、忘れられない、吹っ切れない)のも「その」、「あの」力の症状だろう。あの「A瀬川」氏の仲間(老人倶楽部)達の20年以上加齢したボケの新しい境地に挑んでいる「続・老人力」シリーズを読みたい。呆けたふりをして書かずに、呆けたことを素直に喜ぶエッセイを。
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