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 2011年01月 

狸を食む鳥 

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里山風景が減少するに伴い、人間の生活領域のすぐ近くの周縁部に生息する小動物・中動物の居心地が悪化していることを(生存の危機)を感じている。別に、人間の生命を奪ったり、生活に多大な迷惑をかけたりするのではなく「駆除」や「殺処分」されることもない動物が、われわれ生活のなかで死んでいる風景、われわれが死なせている風景をこの1か月で4件見ている。これらが「自然淘汰」と、されるのでは余りにも酷い。 田圃、雑木地と住宅地の間を走る新たにできたバイパス幹線道路沿いに獣道を奪われた狸やハクビシン(と思われる)の自動車事故による死体だ。一体は、まだ毛もふわふわした薄茶色の子供である。飛ばされた死体、潰された死体もある。その潰された死体の一つにはなんと3羽の烏がよってたかって肉を食んでいるのだ。見かけたときはすでに肋骨部分はきれいに啄まれた骨と骨には血の色も鮮明に僅かに残っている。早朝のごみ置き場に烏が鶏の唐揚げなどをつついている風景は見たことがあるが、烏が動物の死体を啄む風景はちょっと、驚く。小学生の社会科授業の一環で映画鑑賞をした時にヒマラヤかどこかでの人間の葬式としての「鳥葬」の風景を見たことがある。葬る一つの風習らしく、人間の肉体はハゲワシが食み、魂を高い青空に持って行ってもらう、ということであった。でもここで起きている烏の小動物の死骸を食む行動は、自然環境を削り変形させている「生活基盤開発行為」が、動物の習性に変化をもたらしていることによる現象ではないか。狸やはくびしんが何れは「ツシマヤマネコ」のようなことになるかもしれない。「あ!、見てみて、あそこにいるのは狸じゃないか。巣はあの雑木林だろう。子供を連れているぞ」などと散歩の中でいえる環境を残したい。烏は動物の魂を天高く運んでくれるヒマラヤのハゲワシ等のよう品位の高い鳥ではない。日常の生息態度からして!。
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