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優先されるべきこと 






 TOKYOは潤沢な税収がある首都、である。日本の主要な大企業の本社があり、途轍もない報酬・配当金を得る「富裕層」が固まって住み、海外からの観光客もそこで消費をする、土地価格は高騰している、マネーが集まっている、それらのおかげで豊かな都市は益々税収が膨らむ。その税収は小さな国家の予算を超過するほどの規模であるから一層その都市への金融投資や不動産投資、住む都民への利便性、福祉も恵まれた環境となる。
 その都市が2,300億円を投資して歴史のある商業地にある「N橋」を中心とした一帯の「都市の景観を取り戻そう」と「計画している、という事を知った。その都市の周縁の県の過疎化の進む人口10万人にも満たないも小さな市にすむ住民としては、「橋の上」のかっての景観を取り戻すプランを立てたというのを聞いて裕福な都市だなあ贅沢なプランだなあ、と感心をする。妬みの気持ちも僅かながらある。
 かっては都会のそのまた中心地であったシンボルの日本橋の架かるN本橋川両岸の商業地域の賑わいを取り戻そう、そのためには由緒ある地名の名がついた橋(1911年に竣工した石造のアーチ橋は1959年に撤去されている)をメインとした川の上に架かる首都高速道路が景観を阻害している、目障りだ、その高速道路を撤去させ、橋から望む水辺の風景を復活させ、ひいては銀座に流れている富裕層の消費を呼び戻そう、橋の向こう側の日本橋地区からもこちらに引き戻そう、というプランらしいのだ。
 かって東京オリンピックの前年(1964年)に開通した首都高速5号線を日本橋川の底の下にもぐらせて、日本橋川の上の空を解放したい、というそのプランに2,300億円を要する、という。多分、こういった予算はインフレもあって計画時よりも膨らみ続けるのは想定できる。計画している側(都、地下鉄会社など)も腹つもりは3,000億という景観回復予算としているに違いない。
 その完成予定は今度のオリンピックの翌年辺りらしいのだが、一体、そのような投資をして江戸時代、明治時代の日本橋の景観を取り戻して都心の一等商業地の復活、活性化になるのだろうか、それよりもその資金は他の使途があるのではないだろうか、と他県者は思う。都民からの異論はあんまり聞かない。
 その商業地には偶に行くことがある。老舗の商店や大店も残っているがそれなりに大手資本による再開発によって近代的な高層ビル化が進み街並みも整然としている、あの由緒ある川も蓋をされたように高速が走り、川沿いもビル化が進み、川からの景色を眺めながら隅田川に出て遊覧をし、屋形船が係留させている風景、風情を眺めてみたりするがすでに慣れ切った情景である。この川に被さった高速道路の距離は1キロぐらいだろうか、今、そんなに必須の急ぐ高速道路の地下化か、と思ったりする。税収お大尽だな、とやっかむ。
 プランは被さっている高速道路を地下鉄銀座線、半蔵門線、浅草線などを潜って最大深度20メートル(ビル7階ほどか)のところをチュウブ状に1キロ潜航し、その地下両端と周辺部の工事(親水公園なのか)を含めての工事費らしい。景観を回復するというのはあくまでもその地に住み、商いをしている人たちの願望、なのだ。
 この地域にこれだけの「景観回復」投資をするのはこの大都市が優先する投資なのだろうか、とちょっと首をかしげる(都民ではないのに、でもあの都会に働きに出掛けて企業の収益に貢献している準都民的、周縁に住むものとして)。何年先になるか不安であるが想定される大型地震、伴う津波などの自然災害への防護、防災投資がなされる、という事であるのならば日本橋川にかかわらづ誰もが納得する巨額投資であるのだが、都心の歴史を持つ商業地の商人たちは粋といえば粋なのだ。川の風情を尊重する、えいっ、川の底に道路を埋めればいいってもんだ、とばかりの威勢のいい話で、タップリと資金の積みあがっている財布を当てにすればいいってんだ、と気前はいい。
 地震が来たなら東京湾にそそぐ主要河川沿いの海抜ゼロメートル地帯は水没する、という真っ赤に塗られたマップが偶に示される。ゼロメートル地帯に走る河川沿いは危険度が高いエリアである。その辺の水辺災害防止対策投資ならば、隣県に住みその都市に通うものも納得するのだが、いやそれはもう準備されている、余裕のある財政の中から出される、「N本橋川に空を取り戻す会」が願望する景観回復投資だ、というのだろうか。
 狭いこの都市の交通の幹線となっている高速道路は何本も入り組んで細かなカーブを描いてビルの間を避けながら放射状に郊外へ延びている。主要河川の上、公園の近く、文化財の近くの空を二階、三階建て高速道路が走っているのだが、この日本の経済成長期の象徴の一つでもある高速道路は「経済成長記念歴史遺産」とも言えるのだが誰もそのことを言う人はいない。今ある高速道路が邪魔だともいう人もいない(たぶん)複雑な見慣れた都会のインフラである。想定される地震対策である、というならまた話は変わるが。
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行ってみたい、見てみたい。 


観光学

 毎年、一度は海外に行っている。まさに海を越えて国境を越えて他国を観光してみたい、というのが退職後の一つの楽しみだったから、この8年間、アジアを中心に出かけいる。同じ世代の多くの仲間が矢張り海外に出る。観光で行く場所は歴史のある古代の都市であったり、広大な自然を求めてであったり、最新の文化を発信し続ける都市、であったり、稀にしか人が訪ねない秘境的な場所であったりと人それぞれである。
 こちらが退職後に訪ねたのは手頃な日程と予算、そして何となく和めそうな国とエリアであって、旅行会社が組むツアーが中心である。今年は「シルクロード」の西安から・トルファン・烏魯木斉(ウルムチ)の一端を旅した。その前年は「ロシア」のモスクワ・サンクスぺテルスブルクの美術館巡りであったのだが何の脈絡もない、旅ではあったがそれなりに‟美術”というコードで括れる二年の旅ではあるのだが、その異国の地にある長い既知の歴史を知った上で現地(原地)で実感する新しい発見があったりして更に事前の学習があれば(した筈であったが)もっと違った深い歴史の新解釈ができたはず、と一層その地の歴史を深く広く知りたい、と事後の学習意欲も出てきたりする。
 「観光学」という学問があるらしい、と知ったのは「H」という批評家の書いた「Yいつながり」という著書の中に「原発事故を未来に伝えるための『観光地化』という言葉である。原発を観光地にする、ってなんとも違和感のある表現だ、若い批評家はこういう言葉を使うのか、とちょっと批判的な感覚をもったものだった。あんな悲惨な事故を、その現場を観光するって不謹慎ではないか、もっと慎ましい考え、行動があっていいのじゃないか、と。「観光」という言葉はこちらには物見遊山という風な気楽な印象、語意をイメージしたからである。あの福島第一原発をその観光気分で訪ねるって、なんとまあ、と。観光バスを仕立てて、もこうに見える原発を見、被災している地、放射能汚染から避難した人の住む住宅地、多くの住民が津波で攫われた海岸などを感傷的な目線で巡るツアー・・・。その著者のもう一冊の著書「K光客の哲学」という中に従来は『観光とはまずは「楽しみの旅行」であり」・・・「日常の生活圏の外に旅行したり、また滞在したり」することだった。』とある。その考え方がこちらにもあって、新たなこの茶者が言う観光の概念にはちょっと戸惑ったのだ。
 観光、見物、見学、ツアーのために「観光地化する」ってどういう事か、と。原発事故地を観光地に変えてしまおう、という考えのこの著者は福島原発事故がチェルノブイリ原発事故の25年後の1986年後に発生したその、チェルノブイリは現在除染が進み観光客がそこを訪ねることができてその被災地が見れるようになっている、という。25年前の原発事故から何かを学ぶことができる、と幾度となく仲間と事故が発生し、汚染されたその現地を訪ねている。そこを訪ねるツアーを「ダークツーリズム」と言い、人災?被害の大きかった現地を旅して遠く離れたところで聞いていた、映像で見ていた限られた情報をこの目で確認し、この耳で聞き、事実をもってそこから学ぶ、とでも言うツーリズムなのだ。
「ダークツーリズム」(「負の地を旅する」)と学者達(この言葉は英国の学者が、戦争や災害など「悲劇の地」を対象とする新しい実践のことを指す、と)は表現をしている。われわれの言葉の感覚の気軽な物見遊山的、見物の旅、旅行ではないのだ。批評家の言う‟観光バスツアー”にはその事実、実態を現地で、この目で確認する観光から学ぶ、という視点が大切で、そのためには具体的に「後世に伝える博物館や除染技術を学ぶ研修施設、事故のモニュメントなどを併設し象徴的な場所にする。・・・原子力の未来を描いた過去作品を紹介するSF館などもいいかもしれません。・・・線量計を配布し厳密な管理のもとで安全に事故跡地を見学できるようにする・・・」といろいろなところで学んだことをこの地でも観光地化するアイデアを提示している。
 そういえば最近、福島のある地に設置された現代の人気芸術家「Y」が製作した原発事故の放射線から身を守る防護服を着た立体像(サンチャイルド)が地元民の反対で撤去騒動があって、結局撤去されてしまった。観光地化するというのは観光する遠くから来た観光客にその災害の悲惨さをリアルに具体的に見ることができる残された事物がある、という事が大事なのだろう。そこから観光客が何を得てどのように解釈し、現実的な先につなげるか、という事なのだろう。個々人が得た感情をどのように整理するかという場なのだろう。
 「ダークツーリズム」負の観光が中心に語られる。負から正にどのように転換するか、である。福島前には広島・長崎、だろうし、戦地もそうだろう。地震、津波などの大型自然災害による被災地もそうだろう。日本の中だけではなく世界の観光にもそのダークツーリズムになる地はあらゆる地にある、例えばアウシュビッツなどがその代表例だ。地層を剥がせば長い歴史の中の負の観光地が何層にも重なり沈んでいる。
 退職後にアジア各地をツアーしている。台湾、韓国、旅順・大連・瀋陽、ベトナム、カンボジア、マレーシア、北京・西安、タイ、グアム、西安・敦煌・烏魯木斉、いずれの地でも風光明媚な場所、賑やかな異国の都市、古い文化の都市、などを訪ねるもいづれの地にもかっての軍人、商人などの日本人の足跡・痕跡が残されていて決してそれらの見学をした跡は自慢できるものではなかったし、その地の人々から当然に支持される事柄ではなかった、控えめにではあるが冷淡な視線も感じた。多くはその軍人たちの、日本という国が行ってきた負の行動があらゆるところに、我々ツアーの訪ねるところの隣あわされていたり、その場所を当時の日本の見方で見てしまったり(正当化はしないが)、反省しきりとなる、下向きにならざるを得ない場所だったり、する。まさに「正」と「負」が貼り合わさっていて、負とは負わなければならない、ということを実感したものだ。
 なにもそれらアジアの各地の地表、地層にある「負」は日本人によっていることだけではない。その地の民族、エリアによる領土、宗教、言語、など内戦、当時の西欧の植民地化の争い、などの地層は地表と地裏が幾重にも重なっていて、それが一つの文化ともなっている。その地、現地を旅する、というのは「負の記憶・ダークツーリズム」を意識してその地を認識することである。単に風光明媚な自然を鑑賞し、文明の名所・旧跡をあるき、スケールの大きさに感嘆し、珍味や美味しいものを食べ歩き、贅沢なサービスを受ける、ゆとりのあるレジャーも豊かさのゆえにできることであるがその体験観光ばかりではないな、脇に裏に傍に隣り合っている負がある。
 来年の観光はどこにしようか、と考える。ポジティブに「ダークツーリズム」をも意識した旅、をとこの著者の本を読みながら考える。旅先での消費者、単なる通過者で終わるのではなく、立ち止まって見て考える、そしてそれを観光としなくてはと思う。豊かになると大衆の観光が国内のみならず海外への観光が大きなビジネスになっている。日本から海外へ観光・レジャーに行く人は増え続け大型化し贅沢化し、海外から日本へも、特に東南アジアの経済的に成長している国などからは買い物をしに旅行客が増えている、増え続けている。その物品の購買力は日本経済にも大きく貢献しているという。この旅行者たちには日本は「ダークツーリズム」(例えば、広島・長崎、福島原発などの観光)客ではない。代表的な都市を訪ねてショッピングをし、名所・旧跡をガイドブックで案内される観光客の多くは太平洋戦争で日本が戦争を拡大しその地の住民に多くの損害と死者を生んだ東・南アジア地域の子孫である。 
 旅には発見、楽しさ、驚き、感動などを求める。それは旅の一面であることを知り、そこにある文化には様々な「負」があることを知る。

場違いな映像かも 





 北海道胆振東部地震、と名付けられた大地震の不明者の救出と災害の復旧に対して夫々の担当部門から動員された人たちが日夜必死になって活動をしている。まずは人命救助が優先され、次いで生活のインフラの早期復旧ということで電力、水道、病院、食品販売店などの再稼働の様子が逐一報道されている。そして住民の一時避難場所での不安げな様子や、停電のために酪農農家の搾乳した生乳の殺菌ができないが故に絞りたての乳の廃棄、など酪農家の牛舎にならぶ乳牛の搾乳風景などを放映している。それを見ていて収入が入る筈の原乳の破棄、1日に二回搾らなければ乳牛が乳房炎になるので仕方なく捨てるために搾っている風景は何ともやりきれない。 
 しかし、その映像で見る光景は正直言って映る牛の囲われた場所は清潔、とは見えない、どちらかというと汚い場所で飼育されている、汚れた乳牛の体である。だからこそ酪農家は搾乳時に乳首を布切れて拭るのだろう。そして搾乳機械が使えないから手でピュッと一度搾り、乳を飛ばす。そして次の乳牛に同じ作業を繰り返す。手にした布は徐々に汚れが増えていく。お世辞にもキレイ、衛生的とは思えない汚れた布で違う牛の乳首の汚れを拭っている。乳首は清潔にはならない。通常は搾乳機の先が乳首を吸っていく、搾乳していく、という作業順序になる。搾られた搾りたて「原乳」は缶の中にどくどくと溜まっていく。そしてその原乳は集荷されて混入物を除去して初めて「生乳」という状態になって乳業メーカーに入荷され、必ず120℃から150℃で1秒から3秒の温度と時間で殺菌される工程になる、その工程を経て一般に販売される「牛乳」となる筈、であるのだが・・・。あの搾乳作業を見て殺菌前の生乳をそのまま飲む、というには勇気がいるなあ。もったいないから生乳を飲む、という事は危険な飲食である。
 あの映像は酪農家が折角搾った原乳か生乳を停電のせいで捨てざるを得ない残念さを伝えたかったのだろう、が一瞬の映像に意地の悪い見方をする者もいたのだ。
 あの地震が起きる前の8月16日から19日の間に北海道のニセコ、倶知安の三か所のペンションに宿泊していた大学生らが20日に食中毒症状が出たという。その食中毒の原因菌は「カンピロバクター」と言われていて、最近では鶏料理のブームで鶏肉のタタキ、刺身など生に近い料理で食べてこの菌による食中毒が多発しているが、牛乳から?と意外な経由に驚いたのだがまず、殺菌されていない生乳を施設は提供していたという。食品衛生法では生の牛乳を流通せせることは厳しく禁じられている。健康な乳牛の肝臓・胆汁にその菌はいる、食中毒の危険性は高いというのだ。なのにどうしてこの菌による食中毒が発生したのか。発生した施設は9月7日(地震の翌日)に10日までの4日の営業停止処分を保健所から受けたという。ちょっとこの停止処分は素人考えでは遅いのではないかと思うのは発生から2週間以上後になっての営業停止処分とは、と。そして宿泊施設の食堂が生のまま提供した(たまたま生乳だったのか日常的なのかは分からないが)、というのではなくて生乳をここに流通させた乳業会社か酪農家かがあって、そこが法律を破って供給したことになるのだから、こちらの処分があってしかるべき、と思うのだ(その生乳を持ち込んでいる会社か個人は公表されていない)。飲料や料理に使うことを禁止されている生乳(殺菌がされていない)を承知で仕入れたのか、あるいは酪農・乳業会社・個人が運営を請け負っているペンションの食堂か、その辺はよくわからないが、おかしいな。地震の発生した翌日にこのような変な処分が遅くなって発表されることが。
 食中毒菌による影響の拡大、を防ぐのが営業停止処分なのに発生から2週間近くして営業停止が公表された。地震でばたばたな緊急事態の中で4日の営業停止日数は施設側からみれば、不幸中の・・・という事か。地震で停電となった酪農家からの生乳状態の牛乳はいくら布で乳首を拭ったにせよカンピロバクター菌は未殺菌であるから、もったいない、と提供するとことは極めて危険なことで、「廃棄」処分でしか方策はないのだが、地震による停電での被災酪農家を思う。間もなく道全体に電力の供給が始まり、搾乳機が稼働するようになることを願っている。

正常と異常 


北海道地震

 朝起きて、普段と変わりなくTVのリモコンを押してなにげなく見ると、画面いっぱいに「絵」のような山並みと山肌が見える、綺麗だなと思った、正直。しかし映像に続くその後の報道で見た印象表現は適切でなくなった。報じるところによれば6日早朝に、北海道で起きた震度7による胆振地区の山並みの山肌が崩れ落ちた空からの映像であって、そのいずれもの山の肌を削り、樹木、土砂を裾に押し流した、そしてその山の谷あいに住む住宅を押し流し,破壊し、生活道路を塞いでしまっている状況である。
 この数日前に台風21号という最近ではなかった強烈な風と雨により関西では大きな被害があって海上にある新関西国際空港は高潮による海面の盛り上がりで水浸しになり機能不全となってしまった。そして本土と海上空港を結ぶ鉄橋に波で漂う運搬船がその鉄橋にぶつかり鉄橋を歪めてしまい乗客、物資が移動できなくなって海上の人工島は孤立してしまった、という台風と高波とによる大きな被害をもたらした。その台風は日本列島を横切って日本海を北上し北海道には豪雨をもたらしたのだが、そのあと残念なことに地震が襲った。震度「7」という強い地震は台風の豪雨をたっぷり吸い込んでいる山並みを揺さぶり一気に崩れ、滑り落ちた。裾にある住宅を丸ごと襲ったためにそこの住民の多くの死者・不明者が未だに確定しない。救援活動をする地元の消防・警察、そして自衛隊による不明者の救済、被災者救援活動、復旧活動は重機の不足する中で大変だな、と感謝をしその必死な活動に感心をする。
 この自然災害、台風と地震はこの国土にとってその大きさは様々なれど毎年、どこかで日常的に被害をもたらす災害で、異常でも何でもない、太平洋の前線に位置する島、細かに入り組んだ長い海岸線、豊かな樹林を育てる山の密集と噴火しそうな多くの火山、流れの急な河川、地雷のごとく地震帯が張りめぐされている独特な国土が形成されてから古来日本人は暮らし、それらのおこす災害を経験してきている、歴史にも記述があるし、土地にその痕跡が積み重なっている。
近代、暮らしは豊かに、便利になった。それにつれて国土の姿を変えながら様々なインフラを整備してきた、そして経験から学び過去のその災害を超える規模の災害が襲っても国民の暮らしへのダメージは極小化を進めてきた、はず、である。
 数年前に時の政権は「国土強靭化」という大きな政策を掲げたのだがその進捗はどの程度なのか、最近発生している噴火、地震とそれによる津波、台風と強風・豪雨、などを想定して対策を講じているはずである。国土の強靭化というの範囲に勿論大きな対象となっているのは、自然の現象によって発生するインフラへの打撃の防止、である。関西の海上飛行場は埋め立てた人工地盤の上の滑走路のために地盤沈下が開設以来3~4メートル沈下し自然の現象(津波、高波・高潮)への対応として嵩上げしたが、今回の台風による強風、豪雨と高潮が重なって海上は大きく揺れ、飛行場・滑走路は水浸しと成り国際空港の機能をうしなった。そして北海道では電力が主発電所の停止により他の発電所と一体となった電力供給のシステムにより全島300万戸近い住宅の停電を一時的に起こしてしまった(この一斉電力供給停止システムをブラックアウト、というらしい)、水道の給水もままならぬエリアがあって自衛隊の給水車で住民に配水した、停電、水のストップよって道内の震源近い病院は入院者への治療体制、外来の人の受け入れなどは困難、という状態であった。空港は勿論稼働できない、都市部の道路は凸凹であり、液状化をおこし、山裾の道路は土砂によって遮断し、周辺では孤立してる集落もあるという。本土の山崩れと大きく違うのは岩・石がその崩れた肌には見えなかった、この地の土地は土石、ではなく土砂であるのが特徴で樹木を支えづ、流れるように、山裾の住宅を飲み込んだ。今になってみればそのような災害が予想される(今まではなかったかもしれないが)場所に住宅など建物を作ることの(許可)是非は無かったのだろうか、そして日本固有の土地の特徴であるが山を削り、山を貫通させ、谷に鉄橋を掛けて暮らしのインフラの鉄道や道路が作られている。
 自然の大きな枠の中で発生している自然の活動は自然から言わせれば、大きなサイクルで循環している正常な活動の一環だ、ということになる。
 震源地近くにある原子力発電所は地震によるトラブルもなかったというから、一安心であるが今回の台風と地震のダブル発生とそれら大きさ、と場所は異常でもなく自然の中では普通に起こりえることであって、‟想定外”でも‟50年に一度の”・・・という何時もの定型語である災害時のことではないのだ。今までの経験をさらに超える現象が何時、どこで、発生するかは予測がつかなく起こりうる。ならば想定力、イマジネーションを今まで以上の災害となることを前提とした対策を打つべきではないだろうか。最近の自然災害でもそれを知ったはずだ。地震とそれにともなう津波は過去の経験を持ちながらそれをひっくり返してしまい、なおかつ副次的な巨大な災害をもたらし、その後の対策は未だ完了していない。途轍もない年数を、何世代もあとにまで引き継ぐ災害を経験している。起こる筈がない、というが自然はその筈という考え方と対策をいとも簡単に破壊する。
 一番は原子力発電所の事故を想定し(経済的な投入資金を制限することなく、新設、稼働期間を延長することなく停止、廃棄を選択する)政策的な対策を、そして昭和30年代の経済成長期に国民の生活を向上させ経済活動も活力を生んだその国土には様々なインフラ網が張めぐされている。電力、水道、ガス、通信、鉄道、空路、新幹線・鉄道(橋梁・トンネル)、道路、港湾などなどの諸設備は老朽化が進み、基幹産業のコンビナート地帯での工場・発電所、プラントなどなどの更新が進んでいるのだろうか。
 国土強靭化、の大きな一つに国土の領土防衛という政策がある、そのための防衛費といわれる軍事費の拡大が続くがその軍事費の予算を超える金額が国土防災に振り分けるような強靭化が必要かもしれない。

実際問題、どうなのかな。 

ぴろりきん駆除薬
  
 誕生月であった8月に恒例の人間ドックを受診したのだが、前年の同様の検査項目で「バリウム」をゴクリと飲んで回転する固い板状のベッドの上を上下、左右転びながら上部消化器の検査をするのが、金輪際嫌だ、とこの検査項目を止めた。石灰液のようなものを飲んで排出するのが大変な苦痛でそうした。病院からのドック検査結果は全体的にはあんまり心配することはなかったのだが、そのオプションである腫瘍マーカー検査は採決した血液から分析する。CEA(消化器等)という検査では「A」であり、SCC(食道)も「A」である。抗PS3抗体(食道・大腸)も「A」だと検査成績であった。でも、と不安になる。
最近、大きな病院で3回も肺がん検査を受けたにも関わらづ、その癌の兆候は三回前の映像をよく見れば発見できていたはずだったが、結果的に亡くなられたというニュースを聞いている。結局、多くの人が受ける人間ドックって形だけの数をこなす検査ではないのか、と想像することも一層不安を掻き立てたからだ。
 その人間ドックの「A」評価の代わりに別の医院で「胃カメラ」検査を受けることにしたのは、今は大腸がん罹患者一番だが、かっては胃がんだということから「バリウム」、「血液」という検査のほかに検査手段を受け不安を除去しておきたい、という事である。  その細い管の先の胃カメラを鼻から入れて食道・胃をリアルに映し出す映像を枕元で写しながら長い管の先端部に照明のついたカメラがくねくね胃中を動く。胃壁にカメラの触れる感触もあり、ちょっと痛みもあるけれどこの検査でポリープ、癌などが早期発見でその状態が見つかれば(そうは、期待しないが)と我慢できる。
 ほんの10分か15分程度の上部消化器の撮影検査を終えたのだが、カメラを操作する医者は‟荒れているなあ、かなり荒れているなあ”と映像を見ながら呟いていたのが気になる。管をウニュッと引き出して、ちょっとこっちに来てください、と何枚もの画像をいちいち説明をする。潰瘍があるな、ピロリ菌にかなりやられているな、この赤い血管のような線、胃の中の山脈のような筋、要は「潰瘍状態」、などはピロリ菌による異常化で、それも可成りのピロリ菌である、と小さな短冊のような紙片の検査結果を持ってきて、そこには黄色の色に変化したところを示しピロリ菌の棲息状況を示される。多分、チクリとした検査はカメラの先端にある道具で胃の表面の一部を採取し、それを検査手法で分析し色の変化でレベルを判断するのだろう。胃がんになり亡くなったほぼ100%に近い人はピロリ菌が原因で、ピロリ菌を持っている人の多くは胃がんになる確率が高い、と医者は怖い話を言う。
 処方箋をいただくと薬局では「ボノサップパック800」という朝・夕二度服用すべき薬を7日分くれた。「ボノプラザサンフマル酸塩錠・アモキシンリンカプセル・クラリスロマイシン錠」これは抗生物質らしく他二種で7錠をのむ。それを服用しているのだが一体、人間ドックのオプションの血液検査結果「A」とは何だろうか。この検査には定番で絶対「ピロリ菌」の検査とその対策が入れられるべきだ、と確信した。
 たまたま今読書している「免疫の反逆」(2012年出版)という本のなかに「・・・20世紀の終わりまで、癌や消化器潰瘍のような慢性疾患は遺伝的要因、食事、ストレス、その他のライフスタイルにからむ要因が重なって起こるのだと考えられてきた。それが今や、消化器潰瘍のほとんどはヘリコパスター・ピロリ、すなわちピロリ菌による感染が原因であり、抗生物質により治療が可能ということがわかってきた。その抗生物質によって外科手術を受けずに薬で対応できる」、と今のわがピロリ菌に対する処方が適切である、と理解した。
 またわが症状を知っていたかのようなタイミングの新聞記事があった。「ガン社会を診る」というT大病院の教授の記事であるが「・・・胃がんは原因の98%程度がピロリ菌の感染とされる感染型がんの代表です。・・・大腸がんは・・・メタボに直結する生活習慣が大きな原因で・・・大腸がんの予防効果があるとされる薬がある。バッファリンなどの大衆薬で有名で、値段も安いアスピリンです。」「このアスピリンは鎮痛効果(痛み止め対策に良く使用される)が出ないわずかな用量でも、血液をサラサラにすることで心筋梗塞や脳梗塞を防ぎます。・・・アスピリンの定期的な服用は消化管がんのリスクを15%、大腸がんに限れば19%低下させることが分っています。・・・米国の予防医療サービス対策委員会も大腸がんを予防する目的で低用量のアスピリンを服用することを推奨しています。」という記事の抜粋である。
 胃がんと大腸がんの二大癌の不安もある。いずれ、「大腸カメラ」で検査も、と思っている当方はである、脳梗塞の再発防止で毎朝「バイアスピリン」を10年近く服用している。「安価で安全性も高いアスピリンでがんを科学予防できれば・・・」と権威のあるT大病院の先生の話、である。

虎穴に入ったが・・・ 





   この時期の政治の話となると与党内での権力争いであるが、その争いの勝負は決まっている。決まっている勝利者は日本の政治のトップ・首相に就くという話で、既にその地位について長期政権となりその間に様々な政権疲労ともいえる問題が発生し、諸問題によっては国民はいったいどうなったんだあれは、と有耶無耶になってしまった事柄が沢山ある。官庁トップへの忖度から来る不信感、政府のトップ自身のそれらへの関りがあるにもかかわらず、知らず存ぜぬ,ほうかっぶりですっきりしない。権力を持った政治がすっきりさせないで隠してしまう、惚けてしまう、嘘を言う、それらへの工作をしてトップにすり寄り、阿って内閣の主要ポジションを得たいばっかりに問題を問題だとしない、良識ある議員が国民の不信に応えることを提起すると、政治の主要な地位から外されてしまう、という不安から口を噤み、思想もなく強者の中になし崩し組み込まれていく。
 圧力による囲い込みで圧倒的な支持議員と党員となり、その権力を手にしたものはさらに独りよがりの強者となって、今まで慎重論議にしてきた課題に対して、これは自らの個人的信条である、という事柄を堂々と発言し(国会での審議ではなく)その道筋をこの党派の総裁選で手を振りかざしている。
 この総裁は党の選挙で決まる。多数できまった人物は首相になる、国民投票で、あるいは他の他党を含めた国会議員選挙で決まる、というシステムにはない。予想ではその候補は圧倒的な党員(その党派に属する国会議員、地方の党員)を制圧し、対立候補には無言の圧力を党内議員からも受けている、という。これだけの強者、長期政権を維持する、ますます強圧的になって自信を持ちずんずんと一人よがり的に国会の関連委員会、主要官庁の関連部署に指示を出し実施に突進していく。強いリーダーシップでなんでも出来る、やっていく、と演説をする。 
 広く国民に分かりやすく説明し、野党とも審議を重ねる、という事は強者(特定党派内で)の意向次第でどうにでもなっていく。そして良識のある(が、今は情けなく行動を起こさず、発言も控えて右向け右!と並んでしまっている)人たちから何れ何かのきっかけで、それはチョットとやりすぎではないか、となり「孤立」していくに違いない、それが良いことなのかもしれない。
 毎年、8月の終戦記念日辺りには太平洋戦争にかかわる多くの書籍が並ぶ。そしてそのいづれかを手にして当時の状況の知識を上塗りする。ことしは「S和の怪物 七つの謎」という新書を選んだ。あの太平洋戦争に関連した政治家、軍人の周辺にいた人、その家族などへ聞き取り調査を丁寧に行い、偏らない見解を述べた本である。取り上げられた七人、当人たちの脇に居て、その現場にいてその行動の元になった思想的背景やその人間的な態度・感情、などを通して興味深い歴史を加えることができた。
 冒頭は最も多くのページを使って今も一番著者が調査をし続けている「T条H機」という陸軍大学を卒業した軍人・陸軍大臣・参謀総長であり、首相、であり、A級戦犯であったその人物の一番信頼していたと思われる秘書官へのインタビューを行ってそれが中心である。
個人的にもこの人物には良い印象は持っていない、と著者はいうがわれわれの世代も悪い印象を持っている。その秘書官は陸軍大学をでて卒業後は青年将校として当時の連隊長の部下となったその彼はT条を当然ながら上司をあまり悪くは言わないが、それでも著者の質問にできるだけ正確に話そう、歴史の記録になるのだからと対応する。
 T条は陸軍内では力の派閥からは邪魔とばかり、満州(関東軍)に飛ばされる。そこでゲリラ的な敵の掃討を行い多数の中国人を殺戮した、という。その後、関東軍の参謀総長になる。その前年に「二・二六事件」がおき、そのクーデターの鎮圧には断固、徹底的に掃討せよ、という方針をだす。この迅速で徹底した対策が内地で評価され、このことがT条の陸軍内の主導権を握ることになった。それが太平洋戦争を指導していく契機となった、という。T条は内地に戻り陸軍次官に就任しているのだがこの人事に当時のK衛首相は驚いている。陸軍はその組織を優先した自らの権限しか考えない軍官僚の人事である。この人事によってT条は軍部内での強権的な力をもって存在感を高めていく。
 このような話をこの著書は書いているのだが、その中に面白い逸話を挟んでいる。著者は質問を元秘書官にする「T条という人は、文学書をよんだことはありますか」、「小説のことか?ないと思う。われわれ軍人は小説を読むなんて軟派なことに関心を持ったら、軍人なんか務まらないよ。T条さんは(熊野、という有名な能のタイトルをあげて・・・ゆや、と読む)それを読めなかった」。と漢字などの読み方だ不自由だった、というようなことを話したらしい。『大日本帝国の軍人は文学書を読まないだけでなく一般の政治書、良識的な啓蒙書も読まない。(ということは軍人の多くは知識や教養、といったものが欠落している、ということか)・・・軍事は全てのことを実学の中で学ぶ。・・・いわば人間形成が偏頗なのである。『ひとたび権力を手にするとこの国の権力が自らに集中していると考えこむ傲慢さが彼には同居していた」、と秘書官から聞いた表現である。あの人によく似ているなあ、と思う。
 「T条は難解な文字、読み方の複雑な充分にマスターしていないとこrがあり、そういうケースでは演説草稿に、ルビをふることもあった」と秘書官は言ったという。こういうタイプの政治家、軍人は三つの共通点をもつ。「精神論が好き」「妥協は敗北」「事実誤認は当たり前」。(意図的に誤認、か判断力の薄さか)。(このような)T条は内部の指導者に育っていくわけだが、この三つの性格をそのまま実行に移していく(その点ではA倍S三首相と似ているともいえるが。』
 このあとで「日本は決して選んではならない首相像があることを実感した」と今現在の党の総裁イコール首相の選挙を皮肉っている(2018年5月出版の本)、そして続けて『…前述の三点に加えてさらに幾つかの条件が加わるのだが、つまるところは「自省がない」という点に尽きる。』と念押ししている。
 このT条が首相に就任する、というような選定の過程の驚きである。ここで日本の太平洋戦争への突入(結果、敗北)が決定された、という事になるのだが、天皇に首相に成れ、と命じられたのはS・16年10月17日、である。陸軍の誰もが(多くの軍人や官僚なども)想定しない人物が、それも当のT条も全く予想もしなかったし、そのポジションに就こうという野心もなかった筈である。首相の日米戦争は避けたいK衛と戦争をすることが存在価値とする陸軍大臣T条との対立は抜き差しならない関係だった。日米外交交渉で妥結の可能性がなければ、アメリカに対して軍事行動を起こすという決定が9月6日の御前会議でなされた。陸軍では軍事行動を起こしたくて外交交渉の不調を前提にしている。首相は支那撤兵を主張、戦争回避派はアメリカとの外交交渉を懇願するが強気の好戦的T条は「撤兵は退却。譲歩し、譲歩しつくす、それが外交というものか、それは降伏というのです」と強気(軍事行動をおこすべし)一辺倒である。
 K衛はやってられないよ、と内閣を投げ出すことの決意を天皇に伝える。では次の首班はだれにするか、陸軍の内部ではT条などの名はTも出ない、陸軍大将のH久N宮N彦を想定していたというのだが、T条は天皇から参内せよ、といわれて伺う。そこで「今、大命降下を受けた」首相に成れといわれさすがの強硬派のT条は顔を赤らめ震え口も効けない様なさまで秘書官もビックリした、まさかわが上司が首相に?いったいどういう事?的な驚きであったろう。
 どうしてT条か、と誰しも思うのだが天皇と木戸の相談で決まったのだがその理由が無責任というかその人物がどのようなキャリアと発言と行動から知ってのことか、とこちらも驚く。その決定の際の判断が「虎穴にいらづんば虎児を得ず」というだな、と内大臣の木戸の言う「強硬派の陸軍を抑えることができるのはその主導者のT条しかいないだろう、この男にこれまでの戦争を主張する政策を変更して事態に対応してもらうべきだ」、と天皇に申し出た、というのだ。言い出す方も,故事をもってそうだな、と頷くのも・・・、ひどい話である。こうやって当時の天皇と木戸の選択がとんでもないことになっていった。
 ふさわしくない人が瓢箪から駒、毒は毒をもってとサプライズ人事で選ばれたことの不幸、国力を知りながら外地での戦況や現地での問題を表面的にしか理解していない二人の話で決まってしまった不幸、この重なった不幸が避けられずそれから敗戦という道筋が決定的になったのだ。
 現在の国家の政策は天皇は加わらない。しかし、何年か後の将来から今の政治状況を対極的に考えてみるにどこかで重なるところがあったな、太平洋戦争時と現在の世界の情勢、軍事道具の変化(例えば情報武器)、と国家外交力、政治の体制、などが当然ながら大きく変わってきている。その中で政策立案、法制化など「国家の平和」という絶対的な目標に対して当時の政権が良かれと決定したとして、その後にはあの時のあの体制、あの政策がどうだったのか、と地団駄をふみ不幸な時代を初めて知る世代が現れないようにしなければならない、と今の総裁選を見て、それに何もできない国民として無気力になる。、
 新書の著者「H阪」は昭和の怪物、と取り上げた人物を一括りにしているが、T条が果たして「怪物」か、と読後感であるが「気の小さい権力者」というような人物像である、残念な人物をその時に選んじゃったのもその時の勢いなのだろうか。

また並ぶのか。 


ルーブル顔展

 この動員力はブランドの力なのか、朝一番で開館時間前に行くと既に会場の前には鑑賞者が並んでいる。係員が20分待ちというプラカードのような札を掲げて入場を時間制限している様子である。「ほうぅ この展覧会ってそんなに人気になっていたのか」と感心する。
 お目当ての有名な展示作品があるのか、著名な人気画家の作品が展示なのか、なのが前評判がいのか、何だろう一体という感じで並んだのだが、合点がいったのは美術ファンにとって「Lーブル」というブランドなのかもな、と。この展示会のタイトルは『L-ブル美術館展』とチラシやバナー看板にはあり「L-ブルの顔。」というのがサブタイトルになっていてそのサブタイトルへの関心、興味なのか、あるいはこの展示はあとのこり5日、という期間も行列の要因なのかもしれない。
 入館するとと最初の展示からして人ごみの肩越しからしか作品は見えない。そのコーナーの説明・解説毎パスして次のところに並ぶとエジプトの遺跡から発掘した美女の棺に残っていた色彩も形も鮮やかな木製のマスクであった。紀元前の様々な出土品で大理石の彫像、墓碑など、顔貌の美しい彫像などであるから、大美術館の収蔵する美術品の顔にスポットを当てた展示なのだな、と想像をする。様々な時代(紀元前から1800年代にかけて)や様々な形状(立像、胸像、顔、ミニチュアのようなものから2メートルを超える立像まで)、素材も木、大理石、石膏、モザイク、金属、モデルとなっている人物は(良く知られた帝王、貴婦人、子供、や良く知らない美女など)などで立派な顔、美しい顔、など言ってみればわかりやすい「顔」の綺麗さを持つ肖像群を展示している。  なにかそこの展示された作品に一つの筋があってそれにそって並べたというその筋(コンセプト・・・ついているにはついているが)が理解できなかった。ローマ時代の帝王ティベリウスのイタリアで発見されたという立派な大理石の像が圧倒的な存在感で、なるほど歴史の物語に出てくる堂々としたこちらの好きな人物をイメージと合致したが、ほかのローマの帝王ハドリアヌス、カラカラ帝、神官アウグス帝の胸像が何体か展示されている、がもっとあの時代の帝王が集合、というわけでもない。  
  Nポレオンの端正で男らしい胸を張った油絵のいくつかの展示肖像画(戴冠式の正装のNポレオン1世)はその自信あふれる力を誇示するようなもので、それは立派な油絵だ。女性の多くの肖像画も描かれた女性が誰であるかは名前を聞いても(読んでも)知識不足で単にその美しく描かれた「美人だな」「この方、貴婦人とあるがどのような貴族の奥さんなのか」とかその肖像画がこちらに微笑んでいるのを眺めてはうっとりとする。  「美人が描かれた油絵」だという鑑賞である。歴史に登場した人物やその人物の奥さん」というなら絵に描かれた顔の見方も変わるのだが・・・、とその惹きつけられた肖像画は「Eカテリーナ・ヴァシリエグナ・スカヴァロンスキー伯爵夫人(1761年ー1829年)という案内がある。Eカテリーナというばあのロシアの女帝の・・・縁者なのだろうか、今から200年以上前の魅力が盛りに頃の貴婦人か、とかしか鑑賞に際して動員する知識はない。それでも可愛さのある美しい女性だなあ、さすが女流画家が描いた(1796年)素晴らしい絵画だな、とストーカー気味になる。
 インターネットで検索したところこの貴婦人はロシア女帝「Eカテリーナ2世のお気に入りの女性であり女帝の結婚相手のGレゴリー・ポチョムキン(男性の機能はなかったというが)の愛人だった、という。ぺテルスブルグの宮廷に戻って再婚したとあるから、長たらしい苗字にはその出自と結婚履歴が残っているのだろう。
 様々な時代、様々な素材、様々な描かれた著名・無名人の肖像、墓碑に描かれたり顔やデスマスクであったり、製作者・画家の有名・無名、大作からカメオに収まる肖像、広いカテゴリーの芸術作品を鑑賞したが目の中で焦点が定まらず、その中でもいくつかの作品、発掘品に惹かれた展覧会であった。出口をでると入場者はまだ列に並んでいる。お目当ては何だろうか、見終えた鑑賞者の大部分の女性は"素敵ね、いいわね”、あの「正装したナポレオンの肖像画」にうっとりし、そして中高年の男性は「伯爵夫人の肖像画」に初めて見た、美人だなあ、と感慨をもってポストカードを買い込んだりしている。