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序で恐縮ですが・・・ 


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 友人と今年初めての食事をしたのは久しぶりで、正月だしなあ、という事で上野の鰻屋「I豆栄・U川亭」で奮発し鰻重を食べようという事になった。今年の‟初うな”である。その店の開店時間にはまだ余裕があって、時間つぶしに上野公園内をぶらつき、目に入った神社にお参りでもするか、今年はどこへも初はしていなくて、ちょうどいいかな、と石灯篭が並ぶ参道を、右手に五重塔を見ながら進むと、この時期は海外からの旅行客はオフシーズンでツアーも安いからか、若い中国人?らしい人たちが参殿の前で自撮りをしている。お参りをしようとする日本人は賽銭を入れるのも撮影が終わるまで待たねばならない、そんな記念撮影場所になっていた。金色の扉が賽銭箱の向うでは閉まっていて本殿は見えなったが礼儀正しくお参りをし終えた。
 この神社は「上野T照宮」で日光・T照宮、久能山・T照宮と数あるT照宮の中でも格式の高い有名な東照宮で久能山・上野、日光の三か所は何らかの意味ある(忘れたが)占星術で繋がりのある方角の地、だと聞いたことがある。徳川家康が駿河城で1616年に亡くなった時にその遺言で久能山に納め御法会を江戸増上寺に、そして御周忌を終えて下野国日光山へ小堂を営造し・・・武家の輩進、拝むべし…とこの三か所を指定した、という事になっているらしいのだが1617年に久能山の東照宮は創建され、一周忌に日光で建設され、その後徳川家や全国の有力な諸大名が江戸をはじめとして全国に東照宮を最盛期には500社余りが設置したという。上野のその神社が1627年に創建されたのは天海僧正と藤堂高虎が臥せている家康の枕元に呼ばれて三人一緒に魂鎮するところを作るべし、と遺言されたため藤堂の江戸屋敷であった今の上野公園の地に上野寛永寺を作り立派な五重塔、伽藍等を建立したのが始まりだと案内にはあった。1651年には三代将軍家光がそれを作り替えたのだがその時に寄進されたのがここまで歩いてきた参道の両脇に並ぶ立派な灯篭250基である。境内にあった本殿に向かって右手の五重塔は明治期に寛永寺に譲渡された、という。
 三つの東照宮のうちの下野の日光・T照宮のあの金ぴかの絢爛たる建築も装飾もそして敷地の広大さも一等である。ここに至る長い杉並木、川にかかる朱色の橋、境内の広さなど立派な神社である。このT照宮は修学旅行や社内旅行などで幾度か来てはいる。静岡にある久能山・T照宮は今も行く機会がないのだが、この上野のこの徳川家三代(家康・吉宗・慶善)を御祭神とするこの神社も参拝は初めてである。
  特別お参りをしなければ、という心構えはなかったのだが、もっと華々しい立派な鳥居、参道の長さ、森閑とした静寂な境内、圧倒される拝殿、本殿、などの建築、堂宇まどを想像していた。しかしかの徳川家康の権力や徳川幕府の隆盛だった永い時代を考えるとちょっとこの構えは控え目である。このT照大権現、つまり家康を祀るにしては寂しい感じがする。
 ま、今日のような何かの序に寄ってみるか、お参りするかという気分であった。それは江戸時代の武将・大将軍を祀ったというのはこちらにしてみればまだ生臭い人物を神としているという事になる。神話の中での神、作られた神ならば拝みもするのだが。    この神社にお参りすると出世、勝利、健康長寿に御利益がある、と書いてあったからそれにあやかれるかも知れない、と賽銭箱に硬貨を滑り込ませたのだった。御利益、といえば廃仏毀釈の難を逃れ関東を襲った幾度かの大地震や戦争時の東京大空襲時には倒壊や焼失というような被害を免れた、というのもその祭神を崇拝した御利益だったかもしれない。
 まあ、我々も海外旅行で立派なキリスト教の教会のミサ中の建物に入ったり、記念写真をとったり、イスラムの色鮮やかな尖塔を持つ異国情緒あふれるあるモスクを観光しそれをバックに写真を撮ったりと、同じだな、と思いながら境内の右手の道を進んでいくとあの文人達が良く利用していた西洋料理の「S養軒」が観光客を迎えている。その場所の裏手になる鰻屋はぽつぽつと女性同士であったり、我々と同年配の夫婦などが入り始めている。和服姿の女性に二階の座敷に案内された。鰻に老人の心は少し弾んでいる。ひざを折るのがやっとのテーブル前に座してお茶を飲む。ちょっと時間を要して届いた漆塗りの重箱の蓋を取るとうなぎの蒲焼の香りが匂い立つ。そして「高くなったなあ」「ちいさくなったなあ」と思いつつ、控えめのタレの掛けられた鰻に山椒を軽く振りかけて一箸鰻を区切って口に・・・。ほっこりと柔らかく、ご飯に馴染んだタレの味を味わいつつ、タレのかかったご飯部分がやけに広いなあ、と。でも美味しいな、鰻は。
 出世や勝利はこの歳ではいまさら縁がないが今年の初詣で‟健康長寿”はお願いしてきたばかりだ、また来年にもここに来れます様に、と重箱の蓋を被せる。
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訳あって安い。 






 これも異常気象ではないかと思うほど昨年末から今もって雪も、雨も降らない。地域では火災がいくつか発生しているし、全国ニュースでも毎日のように住宅火災で何人かの焼死者が出ている。異常乾燥、である。水分が足りていないのだ。
 自宅に蟄居して寒さに震えるたびに石油ストーブを身近に焚き体を柔軟にしているのだが、室内はこの石油ストーブの所為でしっかりと湿度不足で乾燥し、身体も皮膚も唇もカサカサし、空気を入れなくては酸素不足で頭痛もしてくる。こんな場合は窓を開けては空気を呼び込むも乾燥状態は改善しない。
 便利な家電の「気化ハイブリット加湿器」を数年前から利用しているのだが、まともに室内の湿度のコンディションをキープしたことがない、全く!、快適さ、コンディデョンをキープしたことがない!と腹立たしさが募る、今も募っている。この加湿器は当然ながら暖房を必要としているシーズンに必要なものでストーブを引っ張り出すと間もなくこれも引っ張り出される。しかし今年は引っ張り出したのが以前より遅かった。昨年の年末12月29日に引っ張り出したのだが、水のタンクに水を入れて、さあ、とスイッチを入れるも反応しない、モーター音がしないし、爽やかな風も吹き出されないし、様々なハイブリット・ボタンが点灯しない。コンセントを抜いて再稼働を試みるも、ダメ!。
 確かにその交換された加湿器は前の加湿器の後継器で同じメーカーのほぼ同等の機種であるのだが、初代の購入の翌年に不調で購入した大型家電販売店に持ち込んだところ修理します、と預かってくれたがなかなか修理完了という返事がなかった。催促して確か2週間後に、故障の理由が「操作基盤故障」で同等の機種と交換します、と言ってきた。納得したのだがその加湿器の保証期間、一年で、持ち込んだのは保証満了の7日前であって、「保証期間」によって救われた。こちらが気にしていなかった日にちであるがワンシーズンで故障してしまう、という家電製品はいったいなぜなのか、という疑問である。前年春先に仕舞っておいて購入して一年後の今年取り出したら、故障です、というのは保証期間が変ではないか、という疑問である。こちらの操作ミス、だとか壊したとかいうなら納得できるものの、おかしい保証期間設定ではないだろうか。
 そんなことが以前あった、そして今シーズン(交換されて二年目)にその交換された加湿器を引っ張り出したところまた不調である。一年保証という保証書の期間を超えているのだが、またもや同じ症状で故障であるが、年末に出した修理日から又2週間たっているのだが、うんともすんともその家電販売店からは返答がない!。修理は保証期間を過ぎていますので有料になります、内金で2160円を、と言われ預けてきたが、あの元・プラスチック箱ものメーカーはどのような対応をしているのだろうか、と不思議である。季節ものの家電はその季節で使うものでオフになって矢張り修理不能です、買い替えてくださいと言われても不満が「加不満器」となってしまう。この加湿器の不調は利用者、顧客の声として多く寄せられているのではないだろうか、基盤が原因というならばその対策が後継機で改善なされていなければおかしい、なのに又同じような症状で修理要請が届いていることに(頻度の多い故障症状)対応がなされていない、保証期間内のクレームが来たら交換してやればよい、その方がコスト的に安く上がる、という企業の姿勢なのだろうか。」
 大型のホームセンターなどを卸先としたプラスチックの加工品(プラスチック箱など)を製造していた会社、「I」が今や白物家電である、洗濯機、冷蔵庫、空調機、扇風機、などなど大手家電メーカーが国内で立ちいかなくなって海外企業にその事業が売りに出されメーカーを退職した技術者を雇用して生産をし始めたというニュースを以前聞いたことがあるが、この加湿器などは構造も簡単なもので電子基板を一枚使えば簡単な仕組みで安く作れる、複雑な集積回路をいくつも採用していくような家電ではないから、販売価格も低価である。かっての大手家電メーカーのブランドではないけれど機能は遜色ない、というイメージでのホームセンターや家電販売店の廉価商品で結構売れているのではないだろうか。多分、この会社でも国内で物つくり、製造してはいないだろう、東南アジアの何処かで製造、組み立てをして、検査をして段ボールに詰め込まれてそのまま日本の地方の大型倉庫に入り、横持で販売店に並べられているに違いない。
 そんな製品を家電量販店で見つけたのが、失敗だったと気づいたのも後の祭りである。家電なんて一年持てば結構ではないか、たかが一万円ちょっとの道具ではないか、とメーカーや販売店は口には出さないがそのように思っていて、その保証期間が耐用年数である、と。早く返事がこないかな、ストーブが不要になってしまう。
 

ハマっている、と言われる。 

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 昨年秋、興福寺の中金堂が最後(創建以来幾度となく火災によって焼失されている)に1717年に焼失されて以来300年に当たり再建され大落慶式が執り行われた、というニュースを見た。そのニュースの中で14本の柱に使う木材がもはや日本では調達できないでカメルーンから伐り出されたという、そのような大変な奈良時代の創建時の再現、再建事業だなあ、よくその費用60億円の資金が調達されてつぎ込まれた大事業だ、と感心したのだがこ法相宗・大本山・興福寺といえば、あの栄華を極めた藤原一族の守護の篤い菩提寺だからその寺領の大きさ、資金の豊富さ、宮廷をバックとした一族故に…、寺格も高い、と思うもそれは当時のことであって、その当時の仏教、法相宗の力からは程遠い、篤い仏教信者など少ない時代の再建ってその資金源は、パトロンはどこかと思うのだが、それはさておきあの内陣の巨大な法相柱には「N畠光亨」という日本画家が印度・中国・日本(奈良)の仏教伝来の地の高僧14人の肖像画がきらびやかに描かれている、とあった。
 その中には個人的に惹かれている高僧の一人である僧を運慶一派が鎌倉時代(1212年ごろ)彫った菩薩立像がこの興福寺の藤原不比等を弔う北円堂のなかにある、その国宝となっている立像は紀元300年~400年代の「無著」と「世親」という印度の兄弟僧の深い眼球(玉眼=ガラスの目)、顎や頬骨の力強いインテリ僧のリアルな親しみがある、従来の仏像とはイメージが違う人間的な立像で、東京に国宝展などで阿修羅像と一緒に出張してきた折には必ず鑑賞に行ったし、奈良に旅した時もこの像には挨拶してきている。2メートル近い背丈の立派な兄弟高僧立像(菩薩、という位になっている)であり、とりわけ弟の「世親」像に惹かれている。この兄弟が「玄奘」と共に14人の柱絵の中に描かれていることが嬉しく、現代の画家がどのように描いたのか是非鑑賞したいと思っていたのだが、昨年の竣工時には落慶記念にその時だけ拝見できたがその機会を限っていて今はぐるりと見ることはできないらしいのだ。
 そんな「世親」ファンとなっている現在はシルクロードを一昨年旅した時の記憶を辿って関連のセミナーに行き、あるいは本を読んでは興味、関心が一層深まってきているのだが、そのセミナーの中でシルクロードは西に向かった「絹」ばかりではなく「仏教」もこのロードによってインドから西域、中国へとへと流れてきて大きな文化の一大潮流が生まれた…という風な講義を受けた。
 勿論、表面的な貿易や西側の文化が流れ込んでいた、という知識はあったにしても講義はユーラシアの多くの地から、多くの民族や、多様な宗教、様々な文物が入ってきている、と深く解説がなされる。そのなかで講師の授業の中で引用されている書籍に「魏書釈老志」という古書があった。南北朝時代に鮮卑族(ここで初めて目にした民族)が華北を統一してできた「魏」という国がかってあった、という歴史は知るもどのような国と時代であったかは全く知らないのだがその書は「魏」、おもに北魏の時代の「釈」と言っていた西から入ってきた仏教の「志」、つまり歴史を「魏収」(北斉の文人で48歳の時に130巻にのぼる北魏の歴史を編纂した)という優れた人物が書いた歴史書の一冊である、という事を知った。そしてその引用された書籍の邦訳を読みたい、知りたいとインターネットで検索すると「T洋文庫」が出版していたが今は絶版、という。ならば図書館にと向かうと書庫に保管されていて借り出しができる、ということで「大唐西域記」あの「玄奘」が記録した書籍も一緒に借り出して読み始めているのだが、借りてきてよかった、とおもうのはその「魏書」のなかにあの「世親」の名が出てきたことにちょっと興奮をしたのだった。ちょっと考えれば出てくるのが当然で、仏教伝来の記録であれば出てくるはずの僧侶である。多分あの授業の中で出てきた「高僧伝」にも名は兄弟で記録されているはずであろうが、その魏書の中では解説の中で「・・・インドの勒那摩提が『十地経論』を翻訳するのに参預してその教えをうけた。・・・『十時経論』は、インドにおいて龍樹の大乗教義をふまえ、さらに龍樹の後に発達した新しい大乗仏典を研究し、大乗仏教を新しい方向に展開し指導した世親が、『十地経』に対して注釈を加えたものである。たまたま勒那摩提と同時代に来て洛陽における翻訳仏教事業の中心となった、前述の菩提流支も、同じく『十字経論』を訳し、また世親の用いた新大乗経や世親系仏教教義の翻訳と宣教に偉大な業績をあげた・・・」という解説があるのを読み、一層その「世親」への偉大さとそに描かれている人物の業績に新たな興味を(単に高僧の像に興味を持つばかりでなく)持つようになった。あの興福寺・北円堂に立つ世親、中金堂の柱に描かれた「世親」という僧侶への一層の親しみも持ち始めているのだ。
 こういう読書の面白さ、って読書の楽しみであり面白い。一つの新たに得た知識が次から次へと新たな興味・関心を生んでいきそれに一人興奮をしているのだ。そして、「魏書釈老志」に「魏収」が収めた世親の大乗仏教、法相の教義「唯識」を確立したまさに大高僧なのだ。日本に伝わってきたその教義などに触れる僧でも宗派の仏教徒ではないがその世親に奈良でもう一度会ってみたい、と思ったのはまさにシルクロードは仏教伝来のロード、道であった。そして長い時代のなかで儒教、道教の国、あるいは多数民族国家ゆえの様々な宗教があり、そして外来の仏教の隆盛と衰退、混淆があって多くは消え去ったが、海を渡った東の端の神道の国、日本の奈良にはその仏教の隆盛のあとが今も史跡としてあり、残っている、 そんな感慨を見ながら魏書を読み進め、奈良に再訪しなければ、と思っている。いよいよシルクロードにはまり込んでいる。奈良から新羅、洛陽、長安、敦煌~西域と再度西に向かいたい、と。

*「魏書釈老志」と「世親」のポストカード

企業の理屈 





 もっともらしい新年の企業トップの年頭の挨拶、とやらが経済新聞には載っているのだが、じゃ昨年はどうであったか、というと名だたる企業の不正、そのトップの不正、など緩んだ経営をしてきた多くの企業があった。潜在的なそのような問題・リスクを抱える企業もあるに違いない。
 社会は変化している、といいながらその変化への対応が遅れ、あえて遅らせ、潜って企業の利益の最大化、トップ個人の常識を超える所得を蓄える「経済合理性」と称しての活動がもう一度見直される時に来てるはずであるが、企業利益増大邁進とその投資家への配当あるいは経営者への巨額なインセンティブ、金銭至上主義であり私腹をふくらませるべくそれを優先させる欧米風の手法で企業活動がその企業の内部で、そしてトップの取り巻き連中にもっともらしい理屈で通っていて益々その基調は高まってきている。働く人たちもそれがモチベーションである、と言わんばかりである。
 経済合理性、は企業存続のための利益目標への一つとしての尺度、理屈として理解はできるのだがそれが唯一の目標、目的となり、その上位概念であるべき「倫理・エティック」が忘れ去れ、あるいはそんなのは綺麗ごとだ、とうそぶいている企業がほとんどではないか、と経済事件を見ながら思っているし、その類の企業だと目星をつけた企業の商品やサービスなどへの支出は遠慮している。しかしその企業活動が日常生活のインフラ産業であったら、避けたくても暮らしに支障が生まれる、とると今度は消費者の側の綺麗ごとでは済まなくなる。
 そんなことを思っていた時にインターネットのニュース欄で「おっ!」、なかなか好感が持てるぞ、この銀行は、と思った。一方、地方の創業家が多くの株を所有していた近代的な銀行と思っていたSU銀行が規模拡大のために不正融資と創業家への資金還流(?)などで揺れている、大騒ぎの自動車メーカーのトップ(解任されたが)の何を勘違いしたのか資金の私的消費や蓄財、不正らしき企業の巨額の資金運用でる私的投資で生まれた損失をその企業に付け替えするに際して危険な手助け、コンプライアンスに抵触する事案をS銀行の幹部(現在は国銀の幹部になっている)がした、というような、いかがわしさが続々と出てくる不正も年末に起き衝撃的な逮捕劇が起きトップは、まだ収監されている。
 ニュースで好感をもったR銀行は以前は関東・関西が地盤の三地方銀行だったが経営不振となって国からの資金援助を得ながら合併し、その資金もすべて返還し終えたRが企業融資に際しての倫理綱領のような文言を明文化した、というのだ。記事を見た瞬間に今、預金額が少ないから自慢ではないがメガバンク、いづれも「M」が付く銀行に利息の付かない(と同じ)預金をいくばくか持っているのを、こちらに付け替えようか、と思った次第だ。
 その銀行が「・・・核兵器を開発し、製造し、所持する企業への融資をしない、と明文化した」というのだ。もちろん従来もしていなかったというのだがはっきりと明文化した、というのが肝腎なところなのだ。トップ・メガ「M」銀行の一行の系列的なかっては基幹軍需産業・重工業企業を筆頭に様々な軍需産業とも言えそうな企業群が活動をしており、ある企業は国家と一体となった国策的な企業活動も行っており、‟明文化”をした、と言われると「綺麗ごとじゃないか」と内心思っているかもしれない。でも表面的には融資の基準は事案によって同じような融資判断をしているが「明文化はしていない」と言っている。たぶん、「明文化」はしたくても出来ないだろう。
 その明文化したR銀行は多分、国家にとっては宣言されたとしても痛くも痒くもない、R銀行は国と一身同体となった経済戦略などは持ちえないかもしれないが、更にその非融資企業の対象として化学兵器、生物兵器、対人地雷、クラスター弾などの製造企業や環境に重大な負の影響を及ぼすおそれのある開発プロジェクトなどへの融資も行わない、と宣言した。
 また去年末に日本の経済団体のトップ(原子力発電プラント製造も主力とする企業Hの会長でもある)が「もう原発はつくれない」と発言をした。従来は国の政策として国民の意向は反映されづに、国中の地域に経済援助として豊かな資金を配布しながら原子力発電所のネットワークつくりを促進し、そのプラント製造は数限られた重電機企業(かっては軍需産業であった)に任されてきた。原子力の知見を保存するためでもあっただろうがそのエネルギー製造プラントの配置に伴う巨額の保証と巨額の製造費用、と巨額の安全対策、巨額のメンテナンス・維持費用、なにより福島の地震・津波による巨大な原子力事故によって派生した巨大な被害と計り知れない長期にわたる被害対策を見れば絶対に促進されてはならない、というのが国民の現在の意見ではなかろうか、そして外交に絡めた原子力発電プラントの輸出も破綻をきたしている。おとくいの「経済合理性」からみて、かの団体の会長さんの出身母体「H」の会長は国策として輸出をすすめてきた英国からのプラント建設の受注金額「二兆円」では安全性の強化のために「三兆円」に膨らむ(当然ながら遂行していくうちにこの金額は膨らむ一方となるのは目に見えている)とし、一企業の損得勘定では負担しきれない、という事なのだろう。前任の会長は原発推進派であって停止中の原発の再稼働をいい、原子力が国家のエネルギーの根幹である、増設も、といっていたのだが人が変われば言うことも変わるのだろう。ただし、その発言にも留保がついて化石燃料は環境に負荷がかかるから・・・、自然再生エネルギーは発電が不安定であり・・・、原子力発電はコストが高いし・・・と新たなエネルギーの開発が求められる、という。でも、今現在のエネルギーコスト、電力の需給(原発の未稼働中)、太陽光発電などで家庭、産業のエネルギーは賄えている。国民側から見た「合理性」では化石燃料の消費減速を含めて納得が行く状態ではないだろうか。
 国内でその新設原子力発電所の開発は想定されるリスクからもはや、承認されないだろう。既存の原子力発電所も安全対策は充分だ、と地元の期待もあって(資金的な期待か)存続するも老朽化の進む施設の耐用年数を引き延ばしながら、一方では海外に積極的に売り込みをしている。トルコやベトナムに経済援助、借款というひも付きでの「リスク付き」プラントを輸出しようというのである。
 アメリカの原子力発電プラント会社(G社)を巨額な資金で買収して世界の原子力発電プラント企業として存在感をしめし胸を張った重電企業「T」があったのだがその企業はこの事業が足かせになって(ババ抜きゲームだった)結果的に会計の粉飾によって企業危機を迎えてしまった。
 国によりかかったり(良いことがある、ある場合は言うことを聞くというもたれかかった従来型の準国策会社的企業活動)そのような企業の行動はもはや通用しないだろう。企業そのものの存続を危うくする、というのがかの会長さんの考えていることではないだろうか。新たな時代の国民が企業に期待する「エティック」を企業が掲げる時が来ているように感じるし、そうあってほしい、と願ってメガ「M」銀行からリテール「R」銀行に早速、預金の移動をしたいとおもう。間違えるなよ、との応援である。

主客転倒 


トートバッグ

 これはお年玉、なのか書店に行くと雑誌のコーナーにはおまけのような様々な商品(?)が雑誌と一緒に括られて販売されている。雑誌がおまけなのかその物がおまけなのか分らない。以前から気になっていたのだが女性雑誌にほぼ全誌にそれが一体となっているようでその多分おまけだろう物は実物がコーナーにサンプルとしてぶら下げられていて、封がしてあるものを勝手に開けられない様にしている。この販売手法は最近では男性雑誌や趣味雑誌にも導入されているから雑誌を見るときにそのおまけは不要でも一体の値段であるからついてくる。さすが、というべきか文芸誌やお堅い評論誌などにはくっ付いてはいなくて雑誌の内容・質で勝負している。
 女性雑誌には人気らしいものは袋物でどの雑誌もそのトートバッグが手を変え品を返変えしてとりわけ人気なのは今人気のファッション・ブランドのラベルやロゴ付きの物らしく、雑誌とコラボレーションしているのだが一体その小物入れ、トートバッグは幾らで雑誌出版社に収めているのだろうか、と興味が湧く。確かにそのブランドの宣伝にはなるだろうが、タダで配られているのだと。雑誌の記事の中にもそのブランドの記事や広告が掲載されているから当然商売にはなっているのだろう。
 かって中年の物拘り層が購読者であった「Sライ」という雑誌を購読していたことがある。年、一度この雑誌に万年筆がおまけでついていることがあってそれ欲しさに雑誌を購入したことが3度ほどあった。多分、今の雑誌の販売手法の先駆けのような記憶があるのだが今は女性誌の一般的な販売手法であるがそれに引きずられてか男性のファッション雑誌にも財布、時計、小物入れのポーチ、などなどが人気のブランド名が貼りつけられて店頭に分厚くなっておまけが一体となっている。材質、縫製、などを見ると矢張り一般商店で販売されているような価値観は感じられないのだが、まあタダでもらえるのか、という感覚の商品が多い。
 正月明けの今日は仕事始めである。多分、会社に向かう女性の内、何人かはそのおまけのトートバッグにあれやこれやの小物を詰め込んでいるかもしれない。お弁当入れなどに重宝なサイズ、それを目的としたデザインのものが多いから被さってしまうこともあるのだが飽きたり汚れたりしたならポイする性質のものだろう、タダでいただいたものであり雑誌そのものの価格も1,000円程度である。また来月号の何処かの出版社の違う雑誌のおまけを買えばよいのだ。
 男性雑誌を一通り見た帰りに、平台を見ると山と積まれた女性誌(初めて見る「Mューズ」という雑誌であってそのおまけが「トートバック」である。そしてその吊るされた実物を見ると灰色のキャンバス地には都心に出店している高級輸入食品ブティック「Dーン&Dルーカ」の英文字ロゴが白くシンプルにプリントされている。マチも16センチと広く縦29センチ、幅36センチと容量は大きめであり、両側にはペットボトル、折り畳み傘などが収納できるようにポケットがあり、内側にも小さな小物が入れられるポケットがついていてなおかつ撥水加工がしてあってなかなか良いじゃないか、と手にする(少々、縫製が雑だね、ハンドルも弱そうだな、一年ものだねと独り言をいう)。オマケの雑誌、いや本体の記事は女性のファッション、化粧品、小物雑貨、食べ物などの記事であって当方には全く不要であるがゴムバンドでしっかりとクロスの帯で束ねられている。値段は税込み980円、である。その高級食品ブティックでもこのような白い帆布製のトートバッグは販売されているのを見たことがあるが価格はさほどこの雑誌、いやオマケバッグと大差はないだろう、と思う。(因みにそのバッグの包装には「特大デリバッグ」とあるからこのブランドの主力商品デリカテッセンを購入した時に持ち運びするに便利サイズ、ということだろう。)
 従来ならば新年号といえば家計簿かカレンダー、手帳という風な紙文具等が中心であったが、どこまでこのブランド小物おまけつきの販売手法が行くのだろうか。雑誌を読むのではなくておまけが欲しい、その本末転倒、主客転倒の販売手法が果たして出版社の使命なのだろうか、売り上げが欲しい、だから売れる方法を考える、ならばと今の手法に多くの出版社が凌ぎを削る。
 我々が子供の頃、十円玉の小遣いで買える洋菓子を作っていたランニング姿でゴールをしている選手のトレードマーク「G」という会社があった、今も健全な食品メーカーであるがそのキャラメル箱の上に小さな紙箱がくっ付いていた。その中には小さなブリキ製や木工品のおもちゃがついていてそれが欲しくて小遣いはキャラメルもおいしいが、そのおもちゃが欲しい、とコレクションをする子供もいた、一粒で二度楽しめる子供の楽しみがあった。
 トートバックが欲しくて購入した雑誌記事は美味しいですかね。毎号購入していればそのような布製の小物入れ物がたまっていく、そして他の雑誌のおまけも欲しい、とすぐに飽きられゴミ化していくのだろう。
 手元にある若い女性が欲しという?トートバックは高級食品を購入するためのバッグではなく洗濯物を入れて洗濯機の脇に置かれる「ランドリーバッグ」にさしあたり使われることになる。
 でも、トートバッグって結構たまるものだ、身の回りにはノベルティーでいただいたもの、美術館のミュージアムショップで買ったもの、凝って革と帆布で作られた高価だったもの、帆布メーカーとファッションブランドとのコラボもの、運搬トラックのゴム引きカバーを再利用した北欧の物、などあるのに又買ってしまった、不要なものまでついてきてしまったが。
 
 

赤い実を食べるのは・・・。 


赤い鳥

 庭には「クロガネモチ」の樹がある。結構大きな木に成長し真っ赤なきれいな実が枝一杯についている。常緑樹であるからその葉の緑色と真っ赤な実のなる色あいは気に入っている。それが気に入って庭に植えたのは確かここに引っ越した年であるから14年前である。 この樹に生るその赤い実は今の時期、ある野鳥の格好の餌場になっている。柿を散々食い散らかし、小さなミカンの熟してきた実も食い散らかす。もう餌になるものがなくなる今頃になるともうこれしかないのだろうか今年もやってきて一粒ずつ啄むのだから結構食事期間は長く持つようだ。
 寄ってきている鳥は羽根が灰色で尾が白い中型の多分オナガだろうか10羽近くが交代で来る。ちょっと人間の気配を感ずるとすぐ他の樹にさっと移り、しばらくするとピーピーと啼きながら(仲間に大丈夫だ、とでも言っているのだろうか)また物欲しそうに寄ってくる。他の雑食性の鳥は家庭から出るゴミ場漁りでこのような場所に、この実のような面倒くさい食物は他の鳥に譲っているような食べ分けがなされているようだ。
 赤い実を食べるのは赤い鳥、とは限らない。赤い鳥など寄っても来ない。あの童謡の「赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実食べた・・・」は「K原H秋」の作った歌詞である。「SズキMエキチ」の創刊した雑誌「赤い鳥」に掲載するために依頼された童謡の歌詞だという。この歌詞に続くのが「青い鳥・・・」「白い鳥・・・」と繰り返されるのだが、わが庭に来て啄んでいるオナガらしき鳥がその実を食べて赤く華やかな鳥に変身するというわけでもない、まあ、童謡なのだから夢の無い話は止そう。
 寄ってきて何れは一粒残らず食べ尽くしてていくのだが、その排出する糞は赤でもなく紫でもなく白くもなく、黒っぽいのだからましてや鳥の羽根の、羽毛の色が変わるわけではない。
 庭木ではクロガネモチが赤い実を一番たくさんつけているのだが、低いところに植わっている千両、サネカズラ、南天、そして中木のガマズミ、梅擬、などは味が好みではないのか寄り付かない。鳥にとっては毒気があるのかもしれない。単に赤いからと言って鳥にとってどれでもが食用になるわけではない。そもそも日本に赤い鳥などが生息しているのだろうか、全身真っ赤なんて見たことも聞いたこともない、羽根を染めるに相応しい赤い実がないからなのか。真っ赤な派手な赤い鳥というと矢張り南米あたりの熱帯地帯に生息する鳥類を想像してしまう。その熱帯には真っ赤になる樹の実があるのだろうか。トロピカルフルーツというと果実で皮が赤いサボテンの実などは想像するがサボテンのある沙漠のような乾燥地に果たして鳥などがいるのだろうか、と想像してしまう。
 あの童謡の二番目は青い鳥・・であるがこっちはカワセミなどを最初に想像する、じゃ青い実、青系の実は何を想像しているのか、白い鳥・・・は鷺、ハクチョウ、雷鳥‥といくつか想像はできるが白い実はさて、何があったか。
 赤い実の樹木の種類は庭木にも、山林にもたくさんある。でも鳥にとって食用となるのは限られているようだ。人間の近くには危険で寄らない。またそこには美味しい実もなさそうである。
 間もなくするとクロガネモチの赤い実はすっかりと無くなる。隣にはいい香りのする地中海が原産の「銀梅花」の黒い実が沢山ついている、それは他の小鳥が狙って少しずつ手(嘴)を出しているがオナガはそれには洋風な味覚が好みでないのか関心がないようだ。次は何を食料にするのだろうか。カラスのように雑食性の鳥類はしぶとく何にでも食らいつくが、そうでない鳥は、嫌いでも生き延びるにはなんでも、と今まで嘴を出さなかった残り物の畑の穀物か、雑草の零れ落ちた種か、葉物野菜の中にいる虫類か、あるいは食料を求めて狩猟鳥類宜しく生息地を移動するか、だ。
 しかし名前の分からないどのような鳥であれ寄ってくれる鳥を眺めるのもまた趣のあるものだ。鳥寄せの樹の役割である。
 
 

通販で年始の落胆 





 今年のお節料理は通販で購入した。11月にはコンビニ、百貨店、和食や鮨チェーン、ホテル、変わったところでは家電量販店などでカタログ予約が始まっていて、例年であると近くに店舗のある知り合いの鮨チェーンで予約をしていたのだが、値上げがされて予算を上回ってしまうというのでコンビニの店頭で見たカタログをいくつか並べて比べて予算内の三段お節を予約した。値段、料理の賑やかさ、小さな子供三人は食欲旺盛、という事を頭に入れての予約であった。
 なんでもそのコンビニのお節料理はある百貨店と京都の料亭のコラボ商品で販売先はその百貨店とそのコンビニである。どこのお節もやれどこのホテルの料理長の監修だ、やれ京都の老舗の調理長の監修のもと、とか言う謳い文句を並べた、お墨付きの料理だという。この監修とか言う言葉が曲者である、というのは日ごろ気にはなっている。
 その有名ホテルや老舗料亭でレシピーを考えて食材を選定し、盛りつけと品揃えを考えて、味付けをし、食品メーカーで他の種類のお節商品と同時に大量製造し冷凍する、部品によっては長いもので何か月かは冷凍庫に冬眠させられる。そして年末の29日ごろから冷凍状態で予約客のところに配達されはじめ、家庭ではそれを常温解凍して正月・元旦の食卓に乗る、という過程を経る。
 前年末のニュースにお節予約客のところに冷凍で届けるべきお節料理が冷蔵状態で宅配便で届けられることになって、結局は 1,000個を超える箱料理が品質に問題があるとして不届きになったという。いまのお節料理の大量注文、大量生産、大量配達の過程で起こるべくして起きているトラブルなのだ。
 我々がまだ勤め人の頃はいろいろなところが手つくりの様々な料理単品を箱に詰め合わせて販売していた時にはその扱う数は限られていた。コールドチェーンが整備されていなかったために正月に食中毒発生、という事が最大のリスクであったから限定生産だったし、通販という販売手法のインターネットシステムは無かったし、宅配便という全国に貼りめぐされた配達ネットワークも今のように整備されてはいなかったから我々の尽力でこなしていたのだから、各家庭ではそれぞれお節の料理を手作りするか各料理パーツを大型の商店などで買いそろえて重箱に詰めたり、大皿に盛りつけたりしていた。便利な世の中になったものだ、と届けられたお節料理の三段建て箱を開封するまでは思ったものだ。
 いろいろな色彩の様々な料理が小振りのプラスチックの小箱に雛料理のように並べられているが、子供はその賑やかさに歓声をあげる。しかし前年のお節の印象をもってそれを眺めるとちょっと違うな、随分違うなあと厳しい目つきに代わっているのが自覚できた。正月早々不機嫌になるのも大人げない、とめでたい袋に入った箸を出して伸ばすと3~4人前とパンフレットにはあったのに蟹爪は小ぶりで3本では喧嘩になる、細い海老は4匹並んではいたが・・・。写真には鮑が乗っていたな、どこだ、と探すと貝殻もなく鮑らしい刻みものがちんまりとある。子供が好きなスモークサーモンはこれなのか、という存在である。湯葉らしい煮物があるがその煮汁が化学薬品的味で防腐剤?という悪い方に疑問を持つ。鴨の焼き物は固く2,3枚ある、カズノコは小さくカカットしたものが、断片が・・・・、この青菜の煮物はナニか、若布があるが・・・全体を見てすべてが小さく、小刻みにされて品数は多そうであるが・・・チープである、貧弱である。味付けもいくら京都の老舗だか知らないが薄すぎ、水っぽい、解凍の所為か、あれこれ考えてこれを注文したことにこちらが間違った、とだんまりしながら家庭で作った出汁で作った煮物とお雑煮で今年初めてのおめでたい食事を済ませたのだった。
 期待外れである、何十万個という注文を受けて食品メーカーにスペックを示して、そこは更に下請け工場に製造委託をする。  もしかしたら同じものが他の小売りでも名前を変えて組み合わせを変えて売られるのかもしれない。部品は更に違う食品メーカーの海外工場で生産されてそれぞれの組立(お節)工場でセットアップされている、という風な風景が目に浮かぶ。
 あの料理長が、あの料理人が腕によりをかけて、季節の素材を選別し、味付けをし、出来るだけ自然、国内原材料を使って・・・という宣伝に惑わされてはいけない。そんなことまで手が届かない、目が届かないのは目に見えている。名を借りた宣伝であるに違いない、とその箱詰めお節料理を見てその料亭でその料理長の見ている前で一緒に食べてみたい、「おいしいですか?」。
 来年は少々高くてもあの鮨屋のお節料理に戻ろう、といま反省している。高価な食材も、サイズも、数量も味付けもしっかりしているのは当然かもしれない。今回は僅かの金額で鞍替えしたことを反省する。特に通販という見えない商品、それも食品、となるとそのようなことが、思い違い、が起こる。